第802回 いのちの尊さ

 
平成20年 6月5日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

こんな文章を読みました。小川一乗さんの 
いのちの尊さ」 と言う本です。


妙好人の浅原才市という方が

 これ才市、何処におるか
 浄土もろうて娑婆におる 
 それがよろこび
 南無阿弥陀仏
 
 ガンジス河の砂の数を超えるほどのご縁を取り去ったら、ゼロである。
それを仏教では、「お浄土」というのです。


もともとゼロである私が、ガンジス河の砂を越えるほどのご縁をいただいて、この瞬間、
吐く息、吸う息をいただいている。そのことを才市さんは、「浄土をもろうて娑婆におる。
これがよろこび、南無阿弥陀仏」と言っているのです。


 私たちは、人間に生まれようとして人間に生まれてきたわけではありません。
魚もそうでしょう。
あるいは、草でも花でも、自ら「花になろう」と思って花になった花はないでしょう。
みんなご縁です。

さまざまなご縁をいただいて、それぞれがこの瞬間の命をいただいている。
みなそれぞれにガンジス河の砂の数を超える程のご縁によって、それぞれの命を賜っている。
そういう命であることにおいて、人間も、鳥も、牛も、魚も、草も、花も、みんな「平等な命」を
生きている。
これが仏教の基本なのです。



「平等な命」というのは、毎日働いて同じだけお金をもらって、同じ家に住むというのではなくて、
「この命は私のものではない。この命を私のものだと言える私などではないのだ」ということに
目覚めることによって、明かになる命の在り方なのです。


 仏教では、命は自分のものでないから平等なのです。
難しい言葉で言うと、それを無我というのです。         


私の妹が癌の為に、48歳でこの世を去っていきましたが、残した詩に「変換」というのがあります。

死にむかって 進んでいるのではない
今をもらって生きているのだ
今ゼロであって当然の私が
今生きている
ひき算から足し算の変換
誰が教えてくれたのでしょう
新しい生命
嬉しくて 踊っています
”いのち 日々あらたなり”
うーん わかります

とう歌です。・・・・ ・

引き算ではないのです。
またもらった またもらったと、もらい続けの人生 だから 損はしないで、得ばかりをしている。
都合のいいことも悪いことも全部もらい続けることができる人生こそ、こころ豊かな人生と
いえるのでしょう。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、6月12日に新しい内容に変わります。

         法蔵館発行  仏教に学ぶ  いのちの尊さ より 一部抜き出しました。

         


           私も一言(伝言板)