第1458回 念仏の人を護る

 令和3年 1月 7日〜

正月には方々の神社や寺院が、初詣客で
にぎわいます。神社、仏閣へのお参りは、

家内安全・商売繁盛・病気平癒・合格祈願など、
願い事をすることが世間の常識になっています、
しかし、浄土真宗では仏さまにお願い事は
しません。


 真宗門徒のなかには、地方によって、
元旦に「現世利益和讃」をお勤めする
ところがあります。

そのため、市販の「在家勤行集」には、
たいていこの和讃が収録されています。


「現世利益和讃」には、本願を信じ
念仏申す人生を歩む人を、天地の神々も、

菩薩方も、諸仏方も護っておられる、
だから念仏者は、諸神諸仏に祈る
必要はないのだということが、繰り
返し述べられています。


 天神・地祇はことごとく 
  善鬼神となづけたり

 これらの善神みなともに 
  念仏のひとをまもるなり


 南無阿弥陀仏をとなふれば 
  十方無量の諸仏は

 百重千重囲繞して 
  よろこびまもりたまふなり

(『浄土和讃』「註釈版聖典」575,6頁)

阿弥陀如来のお慈悲は、男も女も、
若い者も年寄りも、能力のある者も
能力のない者も、どんな人にも区別なく
かけられています。
どの人もこの人もかけがえのない者と
みていてくださいます。

私が若いときも年老いたときも、
病気になったときも、失敗したときも、
苦しいときも楽しいときも、如来さまは
一人子のように私についていて
くださいます。

お念仏申す人は、如来さまに人生を
おまかせした人です。
如来さまに人生をおまかせした人は、
如来さまに運命をまかせた人です。

ある方は、浄土真宗の生き方を、

  天命に安んじて、人事を尽くす

と表現されました。
如来さまにおまかせした生き方を
「天命に安んじる」と言われるのです。
どうなろうとも、自分は阿弥陀さまの
み手のなかにある。

どうなろうとも自分には阿弥陀さまが
ついていてくださると、大きな安心の
なかで生かされるのです。
その上で、自分にできるだけの生き方を
することを「人事を尽くす」と言われるの
でしょう。
阿弥陀さまにすべてをおまかせしたとき、
神々も仏さま方もみな私を護っていて
くださると感じられるのです。


 心だに誠の道にかなひなば 
 祈らずとても神や守らん


という歌もあります。
高齢化社会になりました。
お釈迦さまの言葉に、


  人もし生くること 
  百年ならんとも 
  無上の法を 見ることなくば

   無上の法を 見るひとの 
  一日生くるにも およばざるなり

  (『法句経』講談社学術文庫81頁)

とあります。長生きすることが
幸せとは限らないと思うことが
しばしばあります。

ある方の歌が身にしみます。

 またひとつ年をたまわり 
  み仏の法を聞けよの命なりけり


  人生の折々に 黒田覚忍師 
       本願寺出版社


        


           私も一言(伝言板)