第1496回 お念仏は讃嘆のことば ~ 諸仏と一緒に南無阿弥陀仏~

令和3年 9月30日~

 秋の彼岸会法要 沢山の方にお参りいただき 有り難うございました。
法要にお参りの方は、お気づきでしょうが、ちょっと悲しいことがありました。
選挙の時に 立会人や案内役など、ボランティア活動をよくしていただく、
ご門徒の奥様、これまで、ご法座へのご縁がありませんでしたが、
今回お聴聞に来ていただき しかも最前列に座っていただいきました。

ご講師のお話が終わり、御文章拝読のあと、ご本尊へ向かってお念仏 
振り返って「ありがとうございました。」と アイサツされた途端、
その方が間髪をいれず拍手をされました。
それに、つられて何人かが拍手をされ ちょっと気まずい雰囲気になりました。

そこで、住職のあいさつで「こうした 衣を着てお話をしたときに、
最高にうれしいのは お念仏の 声が聞こえた時です。
世間では 拍手は有り難いのですが、本堂では いままで 
お念仏の大きな声でお礼をしてきました。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は 最高の褒め言葉 讃嘆の言葉です。
これから、拍手ではなく 大きな声で 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と
おっしゃっていただくと、阿弥陀さまもご講師さんも とても喜んで
いただくことでしょう。」と お話ししました。

 これまで新しい人は 遠慮して、うしろの方に座っておられましたが、
世の中で活躍して、世間のことを何でも知っているという 自信のある方が 
本堂に座っていただくようになると、きっとまた拍手が出ることでしょう。

 悲しかったのは、いままで南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏の
お念仏の人が、一人が拍手すると、同調されて 手をたたかれたことに、
かなりショックを覚えました。


その後、考えました。なんで拍手ではいけないのか。
音楽や 演芸や、講演など 拍手で 賞賛し、お礼を表すのが常識です。
御講師のご苦労に感謝して 意思表示をしてもいいのではないか。

でも、よく考えると お説教は 「お取り次ぎ」、阿弥陀さまの願いを
お話していただくのです。煩悩いっぱい わがままいっぱいで、
地獄にしか行くことの出来ないこの私に、南無阿弥陀仏の念仏で 
お浄土にうまれさせ仏にする。
無理は言わない 南無阿弥陀仏を口に 生きてくださいとの阿弥陀さまの
願い呼びかけを 取り次いで いただいているのです。

 拍手が起こるのは 世間的な楽しいお話でした、ありがとうと
阿弥陀さまの願いが聞こえなかったのだろうと思います。

17願 諸仏称名の南無阿弥陀仏、人間だけではなく
ありとあらゆる仏さまが 阿弥陀さまを讃嘆しておられるのに、拍手は
人間のご講師だけを讃嘆していることになるからなのでしょう。

 神社では 柏手を打ちます、私のわがまま聞いてよねと、おねだりします。
勉強が不十分ですが、是非 合格させてください。うちの娘は、わがままで
性格はよくありませんが、是非 よい縁談を・・・

浄土真宗は、私の願いのわがままを聞いてもらうのではなく、
必ず お浄土へ うまれさせ 仏にする おまえのことを見捨てぬ
ちゃんと迎え取るという 阿弥陀さまの願いを聞き取り、
うなずくこと、そして、お礼の 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏を口にする
ことです。

          


           私も一言(伝言板)