第1579回 問題は 内側に

 令和5年 5月 4日~

 民族宗教の場合には、人間は自分の外の自然との関係において
考えられています。
たとえば雨が降らずに飢饉が起これば、神々に雨乞いの祈りをする
など、外的環境にどう対処していくかという問題が
民族宗教のすべてです。

 けれどもお釈迦さまの教えはそうではありません。
人間の苦しみの出てくる元は、外界にあるのではなく
自分の内部にあるということの発見から、仏教は始まったのです。
つまり世界は自分の外にだけあるのではなくて、
自分の内面にもあります。

 それまでの人類が知らなかった、このような内的宇宙と
いうものに覚醒するということをはっきり教えられたのが、
お釈迦さまです。
お釈迦さまの覚りというのは、どこまでも自分の内へ入っていく
徹底的な内省の道の果です。

 そしてついに苦しみの元が、自分の存在の奥底にある衝動的な
執着心にあるということを発見された。
真っ暗な自己愛が苦悩の原因だったことの発見とともに、

苦しみの元が断たれた。

 苦しみの元を発見したら、苦しみの根本が断たれたことになります。
苦の元がわからないから迷っていたのです。
それがわかったということは、苦しみからの解放、解脱であり、

大きな平安です。

 これは決して神秘的なことでも、異常な神懸かりでもありません。
それまでの人類の誰も知らなかった、人間精神の一番深みに対して
初めて覚醒した現実的な経験であります。

 ブッダになったということは、心の目が覚めたという意味です。
それまでいろいろなことに迷っていたけれども、迷いの元が今わかった。
今思えば、私は我執にふり回され、真実が見えなかったのだ。
目が覚めてもう迷わなくなったという大きな平和を経験されたのです。
そうして、世界中の生きとし生けるものはみな光かがやく仏性を
持っているのだといわれた。
仏教という世界宗教は、お釈迦さまのこの覚りの経験から生まれたのです。

 阿弥陀の本願にまかせる生きとし生ける衆生はことごとく救われて
仏に成るという、『仏説無量寿経』の根本思想は、お釈迦さまが
覚りの心境のなかで発見された真理であります。
弥陀の本願や往生浄土はお釈迦さまの自覚の内容です。
親鸞聖人はこの真理に直行され、お釈迦さまがこの世に
お出ましになったゆえんは、ただ弥陀の本願を説くためであった
とおっしゃっています。

 これは逆に言えば、お釈迦さまの説法が真理であるのは、
阿弥陀さまの本願が真理であるからだということを意味します。
だから、浄土真宗というのは特別な人びとが信奉する宗派の
名称ではないのであって、宇宙の語りを聞いたお釈迦さまの
仏教の根本精神だということをいわれているのです。

 召喚する真理 正像末和讚を読み 下 大峰顕著 本願寺出版社

          


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