第1495回 期待され待たれている私 ~行き先がはっきりすると~

令和 3年 9月23日~

 元気で生きがいを持って働いていた人が 定年を迎えると
生きがいを無くして、しょんぼりとしてしまう方があります 
逆に 現役時代以上に 生き生きとしている方もあります。
その方々は、 地域の自治会やボランティア活動、趣味の仲間などに
溶け込んで、みんなとともに活躍する新たな喜びの世界を手にして
いらっしゃるからです。

会社勤めをしている間は、職場の仲間や取引先に期待され、自分の
存在が認められ、重要視される心地よい喜びがありましたが、
そこから離れてしまっても、新しい居場所を見つけ出せたからなのでしょう。

しかし、その 生き生きとした生活も  やがてはだんだんと歳をとり、
歩けなくなり、動けなくなってくると 仲間から期待されることも、
認められることもなくなって 寂しさを感じることは間違いありません。


 南無阿弥陀仏の阿弥陀さまは、歩けなくなっても 動けなくなっても、
しゃべれなくなっても、認知症になっても、必ずお浄土へ生まれさせ、
仏にすると 呼びかけ はたらきかけ続けておられる仏さまです。
この私がどこに居ようと、どんな厳しい状態であろうと、見捨てることなく 
お浄土へ来いよと呼びかけ 待っていてくださる仏さまがいらっしゃるのです。
そのことに気づかされると、何の心配も無く 堂々と この人生を
生きていくことが出来るのです。


 子どものころから、努力すれば何でも出来る、成せば成ると 教えられて
それしかないと生きてきました。
しかし、どんなに努力しようと、思い通りに成ることばかりではありません。
人間の力のおよばないことも多いのです。
仏教でいう 老病死 どれ一つとっても、人間の力の及ばないことばかりです。

 しかし、この私を認め 期待し 待っていただいている阿弥陀さまがある
先だった親たちも一緒になって、呼びかけ見守っていていただくことが
信じられれば 怖いことも さびしいことも、むなしいこともなく
今を 精一杯生き抜くことができるものです。

この私は 期待され 認められ 待たれているのです。
仏となって 一緒になって人々を救うはたらきをしようと、
待たれているのです。
お浄土がある 私の行き先がはっきりしてくると、目標が出来、未来が開け
今 自分が出来ることを、南無阿弥陀仏を口に、精一杯務めさせて
いただければ それでいいのです。

明日は、間違いなく 喜び多い お浄土 活躍できる世界、生きがいある世界、
そこにいけると思えてくると いまどんなに厳しい状態にあろうとも
今から心弾む生活が受け取れるのです。

          


           私も一言(伝言板)