第1667回 これもご報謝

 令和7年 1月9日~

 年末から お正月の三が日 お寺の境内にあるお墓には 
多くの方々がお参りに なりました。
お子さんを連れた方が 多かったのは 有り難いことですが、
本堂へ上がって、お参りの方は 少数で ちっと残念な風景でもありました。

 中には お正月の晴れ着の方もあり、近くの神社へ
初詣の方もあったのかもしれません。
親戚でもない神様は 誰にでも一律でしょうが、身内のご先祖さまは
自分だけには 特別扱いで、わがままな願いを聞いてくれる
のではないか、かなえてくれるのではないかとの 
ほのかの願いが、あっての墓参りかもしれません。

 ところで、当妙念寺の電話サービス 初期のころのお話を、まとめて
印刷しようと準備していますが、その中で、こんな言葉がありました。

 マザーテレサさんのお母さんは、常日頃、
「大切なのは 貴方がやりたいことを知ることではなく、
神様が望まれることを知ることです」と、言っておられたと。

私たちの場合は、自分のわがままな願いを聞いてもらうのではなく
阿弥陀さまの願いを 聞きとることが大事といえるのでしょう。

また、浄土真宗は、職業であるならば、猟漁をも商い奉公をもせよ、
出家しないで、家にいるままでよい、欲のあるままでよい、
そのまま必ず救うと。

 そこで日常の生活は、すべて報謝であると心得えての
生活をするといい、農業の人は、鍬の一打ち 一打ち
大工さんお場合には 槌のひと打ち 一打ちが 皆ご報謝と
思って生活しようではないか。

 お仏壇の前で お念仏するときだけが 報謝ではなく、
朝起きてから晩寝るまで、すべてがご報謝のしどおしと成るように
生活するのが 浄土真宗の報恩感謝であると
教えていただいてもいます。

そして、 幸せだから 感謝するのでない
感謝するから 幸せなのだ という言葉もありました。


 

          


           私も一言(伝言板)