1326回 ありのままに見る

 平成30年 6月28日~

「朗読法話集」という 法要の後に朗読できる法話集が、
平成8年に発刊されました。
その中に 「ありのままに見る」という項目があります。

ただ今、(   )のおつとめをいたしました。この機会にひとこと、
ご法話を(朗読)させていただきます。

 私たちは、自分に都合のよいように判断する自己中心のこころの
ために、物の真実の姿を、誤って見ている場合がほとんどです。
そのために、さまざまな間違いをおこします。

人の好意を悪意にとったり、自然のありのままの姿を、ありのままに
感じることができないのも、自己中心のこころにさまたげられて、
物を見ているためです。

 お釈迦さまは、私たちが真実の物のありかたを知らないために、
混乱をひきおこしているのだということを、明らかにされました。
そして如実に知見すること、つまり、物事をありのままに見ること
が大切であると教えられました。
ありのままに物をみること、それが「智慧」といわれる能力です。
仏教のさとりとは、この智慧を得ることでした。

 では、智慧によって見る世界は、どのように違うのでしょうか。
私をふくめ、すべての物が変化し、変わっていくこと、すなわち
「無常」であることも、智慧の眼によって知らされます。
それがわかったとき、いかに今、ここにいる私の「いのち」が、
ありがたいものであるか、他の一切の「いのち」も、同じように
大切なものであるかを、納得されることでしょう。

 また、すべてのものが縁りあい、支えあって、なりたっていること、
すなわち、「縁起」の関係にあることも真実です。
このことを知ることによって、私は、ただひとりだけで生きているのではなく、
多くのもののおかげによって、生かされている事実に、めざめるこ
とでしょう。

そこに、すべての人びとが、互いに害しあうことなく助けあい、
感謝しあう世界がつくられていくのです。

 仏教の教えの目的は、私たちの生きていく世界が、そのような
世界になることです。
まことにまれなご縁をえて、人間に生まれてきた私たちです。
仏教の教えを聞き、間違った見かたをしている自分を恥じながら、
少しでも真実にかなう生きかたをしたいものです。

 では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏……。


          


           私も一言(伝言板)