第1565回 親は 子どものために

 令和5年 1月26日~

 テレビ放送開始70周年記念ドラマ として
「大河ドラマが生まれた日」を 2月上旬に放送するという
PR番組をみました。

 昭和39年の東京オリンピックの直前、テレビの躍進を脅威と感じた
映画会社は 所属の俳優をテレビには出演させない協定を結び、
テレビと対抗していた時代のことです。
映画に負けない新しい連続大型時代劇を自分自身で制作できないかと

奮闘する中、映画俳優の 佐田啓二が出演することを了解してくれて、
第一回大河ドラマ「花の生涯」が、スタートしたという物語のようです。

 この記念ドラマには、佐田啓二の息子 中井貴一が、大河ドラマを発案した
芸能局長の役で出演しているということです。
ところが、中井貴一のスケジュールがなかなか取れず、
たまたま空けてあった一日、父の祥月命日に、収録をしたとい
うコメントもありました。


 もう40年も前を思い出しています。
夜の8時台の総合テレビ 報道や教養番組がほとんどとなった中、
やはり娯楽時代劇が必要と急遽制作することになりました。
作品は 藤沢周平さんの原作と決まっていましたが、あとは白紙
毎週一回の放送ですから、週5日間のスケジュールが必要ですが、
主役級の俳優は 2年3年先まで、予定が入っており、なかなか
いい人が見つかりません。

 そんな中、訪ねてきた中堅どころのプロダクションのマネージャに
「時代劇 主役 新鮮な若者 いませんか?」「いますよ」
「え、誰、どこに」「佐田啓二の息子さん」「今何をしている人」
「大学3年か4年生ですよ」「経験はあるの」「映画連合艦隊に出てましたよ」
「会えるかなー」「段取り取ってみます」

 放送センターの西口前の喫茶店で会うことになりました。
約束の時間に行くと、恰幅がいい母親がひとり現れて、本人はクラブ活動で
少し遅れますとのこと。
内容を説明すると、主人の佐田啓二さんが夜の8時台のドラマ収録のために
蓼科高原(たてしなこうげん)から帰る途中、自動車事故で亡くなった。
その同じ8時台に
 息子に主役の話があり、あとは本人次第との感じでした。

 真っ黒に日焼けして、ラケットを持ち、練習着のまま現れた青年は
自分は父親と別の道を行きます。大学のテニス部のキャプテン、先輩の
紹介で、就職は大丈夫。ゴメンナサイとの強い決意でした。

「そういわず、卒業前の思い出づくりに 一本だけやってみない」
「とても無理です、大きな大会もひかえていますから」
「今結論を出さず、後で返事を・・」で別れました。
ちょっと無理かなあーが印象でした。
しかし、数日後 出演したいとの返事が届き思いました。

 親は子どもや孫の幸せのために 心配りをします。
亡くなっても親は子どものことを一番に考えてはたらきかけて
くれているのだろうと
しかし、なかなかそれに気づかずにいるだけ、
この父と、子どもの映像をテレビで見ながら、この場合は 
それを感じ取ることが出来、受け入れただけだと、つくづく感じています。

親はいつも 子どものことを応援しているのです。
阿弥陀さまは すべての人を我が子のように、いつもいつも
私に任せなさいと、見守っておられるのです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と 呼びかけ見守って
おられるのです。


          


           私も一言(伝言板)