第1343回 み仏は共に悲しみたもう

 平成30年 10月25日〜

 さびしいとき、悲しいとき、阿弥陀さまの前にすわって、「南無阿弥陀仏」と
名前を呼びましょう。
きっと、この悲しみをわかってくださいます。


 うれしいとき、そのことをご報告いたしましょう。きっと「よかったね」と、
よろこんでくださいます。


 阿弥陀さまはいっでも、あなたとご一緒です。
手を合わせて、「南無阿弥陀仏」と、仏さまのお名前を呼ぶとき、あなたの
そばにきて、語りかけてくださいます。淋しいあなたのそばにいてくださいます。
悲しいときはなぐさめ、ともに心を痛めてくださっています。

 このような、阿弥陀さまのおこころを、「同体の慈悲」といいます。
人々の悲しみをわがこととして悲しみ、人々のよろこびをともによろこんで
くださるからです。
だれも、私の悲しみをわかってくれないときでも、阿弥陀さまだけは、わかって
くださいます。


 こうしたおこころから、阿弥陀さまは、迷いの中にいる私たちを、
かならず浄土に救いとると誓われたのでした。
お念仏は、この誓いによって、私たちを救いとるため、完成してくださった
救いの道です。
ですからお念仏は、阿弥陀さまの大慈悲心の結晶であるといえましょう。
こうした「同体の慈悲」を仰いで念仏する人は、み仏の限りないお慈悲の光に
つつまれているのです。


この世を生きぬくということは、決してたやすいことではありません。
しかし、阿弥陀さまの光につつまれ、お護りいただいていると、お聞かせに
あずかるならば、深い安らぎと明るさをもって生きぬくことができるでしょう。


 では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏……。

                            朗読法話集 第一集より

          


           私も一言(伝言板)