第1417回 価値観の転換

 令和 2年 3月26日〜

 信心を得ることによって、今まで生きてきた
価値観に別れを告げ、今まで知らなかった
新しい価値観の世界に生まれ変わるのです。

昨日までは人間的欲望を中心とした世界を
生きてきました。
愛情や富、健康や名声は好ましく、憎悪や貧困、
病気や別離は嫌悪する世界でありました。

しかし、新しい価値観に生まれ変かった私には、
貧困や病気は つらいことに変わりありませんが、
貧困は貧困なりに、病気は病気なりに、私の
人生に意味あるものとして再発見されるのです。
憎悪や別離のようなものさえ、キラッと光を
放って輝くのです。

 ですから、信じて何かを実践して、その結果、
ご利益をいただくという形の信心とは言葉は
一緒であっても、本質的に異なるのです。
浄土真宗でいう信心は、信じることでありながら、
同時にそれはご利益でもあるわけです。

 浄土真宗の信心と他の宗教のそれを区別して、
浄土真宗では 信心であって信仰ではないと
いう人がいます。

しかし、信仰という語と区別すれば、信心が
明らかになるというものでもありません。
現に、神信心とか‐‐|鰯の頭も信心から」
というような使い方がされますし、自力の
信心という語もあります。
信心という語自体も、決して浄土真宗の
独占物ではないのです。

信心の中味の違いは、「何を信じたか」
という信心の対象により決定するのです。
怨霊を信じれば、恐怖心を生じるでしょう。
お金儲けの甘言を信じれば、やがて破綻の
憂き目を見ます。
奸臣を信じた君主は、やがて身を滅ぼします。

釈尊によって発見された、涅槃への法則である
阿弥陀如来の本願を信じることにより、
私どもは生死のきずなを断ち、新しい
価値観の世界に生まれ変わるのです。

  やさしい真宗講座 み教えに生きる
     霊山勝海師 本願寺出版社刊

          


           私も一言(伝言板)