第1473回 愛敬父母 ~仏法の力でよって~

令和 3年 4月22日 ~

 ユーチューブに浄土三部経とか 御文章 
それに蓮如上人御一代記聞書の現代語版を
アップしていますが、自分で再生して
見ながら、御一代記聞書の236条にこんな
ところがあることを 興味深く再確認しました。


 蓮如上人は、 「 仏法者には、仏法の力に
よってなるのである。

仏法のすぐれた力によらなければ、仏法者に
なることはできない。

そうであるから、仏法を学者や物知りが人々に
述べ伝えて盛んにすることはないのである。


たとえ文字一つ知らなくても、信心を得た人には
仏の智慧が加わっているから、仏のお力によって、
その人の話しを聞く人々が信心を得るのである。
だから、人前で聖教を読み聞かせるものであっても、
われこそはと思いあがった人が、仏法を伝えた
ためしはないのである。

何一つ知らなくても、たしかに信心を得た人は、
仏のお力で話すのだから、人々が信心を
得るのである 」 と仰せになりました。・・・・と


  近くのご住職が 「阿弥陀さまの邪魔さえ
しなければそれでもう立派な住職だ」と、
よくおっしゃっていました。

お念仏は 仏さまの智慧のはたらきで伝わって
いくもの。

その邪魔をしてばかりいるのが、私たちなのでしょう。

 阿難尊者がお釈迦様の日ごろにない
すばらしいお姿を見て、五つの徳で讃嘆し、
それに応えて、無量寿経が説かれますが、
その直前に
  こんなところがあります。

「如来が、すすんで人々に尊い教えを説き
与えることは、親孝行な子が父母を敬愛する
ようである。まるで自分自身を見るように、
さまざまな人々を見るのである。」
 ・・・・・
とあります。

親が子どもに説き示すのではなく、親孝行の
子どもが 親に尽くすように教えを説くとあります。


南無阿弥陀仏を口にし、南無阿弥陀仏を聞くことで、
仏さまの願いが聞こえてくるのです。
お聴聞することは、如来の願いを聞かせていただき、
仏さまのはたらきを 受け取ることなのでしょう。

          


           私も一言(伝言板)