第1421回 一切の聖教章の大意

令和 2年 4月23日〜

 浄土真宗の教えの第一義は、
南無阿弥陀仏の六字のいわれに
尽きます。

 その例を挙げますと、
南無阿弥陀仏とは、南無と
帰命すれば、即座に阿弥陀仏が
おたすけくださる道理を
あらわしています。

その南無の二字は帰命と翻訳を
されました。その帰命とは、
雑行といわれるさまざまな
自力の行を捨てて、素直に
阿弥陀仏の本願にしたがい、
仰せのままに「後生たすけたまえ」と、
一筋におまかせすることです。

このように自力を捨てて
本願におまかせをすれば、
阿弥陀仏はそのことを
よくご存じになられて、
必ずおたすけくださるのです。

 このように南無とおまかせ
する者を、阿弥陀仏は必ず
おたすけくださるという
道理をあらわしていますから、
南無阿弥陀仏とは、私たちが
阿弥陀仏の仰せに順う、
他力の信心一つで、あらゆる人
が平等にたすけていただける
道理をあらわしていると
知らされます。

 ですから、他力の信心と
いっても、南無阿弥陀仏の
おこころを知らせていただく
よりほかにはないのです。

このようないわれでありますから、
仏法をすすめてくださる
「お聖教」は、すべて南無
阿弥陀仏の六字を信じさせる
ためのものであったと
心得るべきであります。

本願寺出版社 御文章を読む 
    天岸浄圓師


          


           私も一言(伝言板)