第1369回 いつも見守っていてくださる

 平成31年 4月 25日~

  大悲無倦        [正信偈]

「悲しまれるよ」

 多くの宗教は「いい事をしたら救われるけど、悪い事をしたら救われない」
と説きます。
しかし、浄土真宗では「いい事をした人も悪い事をした人も、平等に救われる」と
説きます。普通に考えると納得がいきません。


 ところで、皆さんは今までに、「そんな悪いことをしていたら、罰が当たるよ」
と言われたことはありませんか。
多分、多くの人が言われた経験があるでしょう。
ところが、私は今までに。親から「そんな悪いことをしていたら、罰が当たるよ」と
言われたことは。一度もありません。

とは言っても、小さい頃から、ずっといい子だったわけではありません。
悪い事もしました。
そんな時は親から、「そんな悪い事をしていたら、仏さまが悲しまれるよ」と
言われました。


 浄土真宗では、善悪平等の救いを説きますが、それは決して悪い事をしても
いいと言っているのではありません。
悪い事をしたら仏(阿弥陀)さまは、悲しまれるのです。
当然、いい事をしたら喜ばれるのです。



  善人も悪人も

 私は、母親から叱られた時は、あまり反省しなかったけれど、母親を悲しませて
しまった時は、深く反省したという、子どもの時の経験があります、

強く叱って正さないといけないこともありますが、悲しみの心に出あうこと
によって、人生が正されることもあるのです。

 阿弥陀さまはいつも私たちのことを心配して見守っていてくださいます。
人も悪人も平等に慈しんでくださいます。
さらに言えば、それは、私がいい事をしている時も、悪い事をしている時も、
どんな状態にあろうとも、見捨てず見守ってくださっているということなのです。


 『正信偈』に、『大悲無倦常照我(大悲、倦(ものう)きこと無くして、
常に我を照らしたもう」とあります。

阿弥陀さまの大いなる慈悲のはたらきは、飽きたり疲れたりすることなく、常に
私を照らし続けてくださっているのです。


 私は幼い頃からそのことを、「仏さまはいつも見守っていてくださいます」という言葉で
聞かせていただいてきました。

「大悲無倦・・・仏さまはいつも見守っていてくださいます・・・ 」
そんなあたたかい世界に包まれた人生を歩ませていただきましょう。

          いのちの栞 毎日を仏法という鏡に 本願寺出版社 小池秀章師より


          


           私も一言(伝言板)