第917回 見てますよ  〜私を見守る大きな力〜

 平成22年 8月 19日〜

子どもや 孫の 運動会を 見に出かけた経験を お持ちの方は 多いと思います。

大きな声で 名前を呼んだり 合図をしたり 親しい人が来ていることに 気づき 
確認できると 子どもは ほっとした顔をしたり、笑ったり、
 テレたり 
目をそらして素知らぬふりをしたり 様々の表情を
 しますが 自分を
見守ってくれる人がいることを 確認できて
 安心した感じが受け取れます。

しかし 時間が経過してくると もう 父兄の存在を忘れ ぼんやりしたり 
ダラダラしたり 友達とふざけたり 見られていることを
 意識しなくなって
しまう子供もいますし、いつまでも気にして こちらを ちらちらと 見る子供もいます。



プログラムの 団体競技では 仲間とちゃんと協力してくれることを 
駆けっこでは 一生懸命走ってほしい 例え 一位にならなくても 
転ばず しっかりと走ってくれればと 親たちは 願うものです。

沢山の子供たちがいても 見ているのは どうしても自分と関わりのある
愛しい人ばかり その動向が気になり 頑張ってくれることを 願っています。


ところで 親鸞聖人は 阿弥陀如来の五劫思惟の願も 永劫の修行も 
ひとえに 親鸞一人がためなりと ・・・


この私のための ご努力 ご苦労であったと おっしゃっています。

いつもじっと見守り 精一杯生きてくれ 生きがいを持って 仲間と協力して 
自分の勤めを果たしてほしいとの呼びかけ
 はたらきかけに 気づくか 
気づかないか。



運動会や 授業参観に 大切な人が来て この私のことを 
見守っていてくれるように 毎日の生活でも 見守ってくれる人を
意識できるか出来ないかで 大きく違ってくるのだと思います。

そして 私を見守る力が 阿弥陀さまであったり 先祖であったり
肉親であったり 自然の力であったり 多くの仲間であったり 
力の限り 生きることを 願っている 多くのはたらきがあることを 
意識するか しないか。

お寺の本堂での 法座や家庭での仏事は こうした 私を見守り、
はたらきかける大きな 多くの力があることを 願われていることは
どんなことか 呼びかけとは ・・・・・しっかりと 確認していただく
大事な機会だと思います。

その大切な機会に 今日も 自分の関係者は 誰も聞きに来ていないと 
親しい人が がっかりしないよう ちゃんと 参加して聞き取ってほしいものです。

そして 南無阿弥陀仏の共通語で 楽しい時も 困った時も 悲しい時も 
苦しい時も いつも 交信し 会話をし 一緒に 力強く
 
生きていきたいものです。

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。
次回は 8月26日に新しい内容に変わります。


         


           私も一言(伝言板)