第1585回 頼まないのに 呼びかけ

 令和 5年 6月15日~

 浄土真宗は ただ一つ お聴聞を勧めます。
そして、何を聞くのかというと、阿弥陀如来という仏さまは、
一人残らず
 すべての人を救いたいと、この私をお浄土へ
迎え取って仏にしたいと、

はたらき続けておられることを聞くのです。

阿弥陀さまの名前・南無阿弥陀仏を口にして生きているものを、
一人残らず間違いなくお浄土へ迎え取る。

心配しないでいい、悩やまなくていい、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏で
大丈夫 大丈夫と呼びかけ、はたらきかけておられることを、
聞き取っていくのです。
浄土真宗は、このこと一つを聞くことだと言われます。

 私が頼む前から、私のことを心配して、四苦八苦の
人間の世界を精一杯生き抜いておいで、そして、お浄土へ
生まれてきてくれ、一緒になって、悩み苦しむ人々を救うために
はたらいてくれ、そう呼ばれ続けている、そう気づかされると、
この人生は、まるで違って見えてくるものです。

 自分ひとりで頑張って、悪戦苦闘しているつもりですが、
仏さまをはじめ、親も兄弟も、周りの人々も、自然も
ありとあらゆるものが、この私を支え生かそうと はたらき
続けていることに気づいてほしいとの、はたらきかけです。

 繰り返し繰り返しお聴聞すると、限られたこの世だけが人生ではなく
いのち終わった後も、まだまだ生きがいがある はたらく場所がある。
期待されて待たれている、この私のことを認め信頼し、受け入れて
くださる世界があり、私の目的地はお浄土であると。
そう聞えてくると、わずか100年のいのちではなく、永遠のいのちを
感じることができるのです。

そればかりではなく、私の生きがいは、自分の身を、欲望を満足
させることではなく、多くの人々に、仏さまのはたらきかけを知らせ、
感じさせ、よろこびを与えること、それが、喜びとなってくるのです。

 永遠のいのち 無量のいのちの仏さまになることができる
もう仏さまの仲間であると、味わえてくると、毎日の生活が
まるで違ってくるものです。
自己本位で限られたいのちを、苦しみながら生きる日々から
仏さまの願いにかなった、、充実した、やりがいのある
喜び多い人生へと転じられていくのです。

 それが、南無阿弥陀仏に 遇えた念仏者のよろこびであり、
これこそが、充実した人生だと味わえてくるのです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏の呼びかけを聞き、南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏を
 味わい、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏、と返事をし、
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と喜びを口にすること、

それは、すべての仏さまとともに、すべての先輩たちと、
私も一緒になって、仏さまのはたらきのお手伝いを
さていただいているのです。

それが、南無阿弥陀仏のお念仏、仏さまの はたらき
そのものなのです。


          


           私も一言(伝言板)