第1578回 親のよび声

 令和5年 4月27日~

 小さな女の子が山の中で迷子になる事件がありました。
家族と遊びに来て、一人で道に迷ったのです。
警察や消防、近所やボランティアの人たちで探しますが、
夕方になってもなかなか見つかりません。

 そしてとうとう夜になり、「今日はもうダメだ。
これ以上は暗くてあぶない。明日また探そう」と誰かが言いました。
結局その日はあきらめて次の日の朝ふたたび集まることが決まり、
捜索隊は一時解散しました。

 ところが捜索が打ち切りになった後も、探すのを
やめなかった人がいます。
「どこにいるの、お母さんはここですよ」大声でさけびながら
必死になって探し続けたのは、その子のお母さんでした。
みんなが帰ってしまった後も、決して探すのをやめません。

 真っ暗な中さみしくて泣いているに違いない、
お腹を空かせてひもじい思いをしているに違いないと
子どもの身を案じ、心の底から心配をしているのです。
お母さんは子どもが見つかるまで心が休まることはありません。

その子を胸に抱きしめて安心させるまで、けんめいに探し続けます。
絶対にあきらめない、決して見捨てることができないのが
本当の親なのです。

 みなさんには自分のことを本当に心配してくれる人がいますか。
つらい思いをした時、悲しい気持ちになった時、声をかけて
くれる人はいますか。

 私たちの仏さまは「アミダさま」と言います。
アミダさまは「南無阿弥陀仏」という言葉になって、
今も私のところに来てくださっています。

「声に姿はなけれども 声のまんまが仏なり 仏は声のお六字と
 姿をかえてわれに来る」これは高松悟峰というお坊さんの言葉です。
 「南無阿弥陀仏」は、変な呪文やまじないの言葉ではありません。

  アミダさまのよび声です。
「ここにいるよ、ひとりじゃないよ。

 わたしはあなたを見捨てたり見放したりしないからね。」
アミダさまはこれまでもこれからも、ずっと私を
よび続けてくださいます。

「ナモアミダブツ」と大きな声で返事をしましょう。
アミダさまのまことの言葉をいただいて、疑いが晴れて
安心することを信心といいます。

道に迷った山の中で、親のよび声が聞こえたとき、
その声を疑う人はいませんね。
「南無阿弥陀仏」と声に出してとなえることは、
アミダさまのたしかさ、たのもしさをよろこんでいくことなのです。

        本願寺派 少年連盟 ホームページ 松月英淳師

          


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