第1475回 人形を抱くおばあちゃん ~離れていても親は親~ 

 令和 3年 5月6日~

 いつも人形を抱いていたご婦人を思い出しています。

最初会った時は驚きました。お盆のおつとめでしたが、
おつとめが終わると、冷蔵庫から冷えたジュースを
出していただきましたが、もう一つのコップにも注ぎ、
抱っこしているセルロイド製の古い人形に、

「ピーコちゃんも、どうぞ」とその口元へコップを近づけ、
「おいしいでしょう」と、そして濡れた口元を布巾で拭いて、
見守り話しかけられるのです。

こちらも一口飲んで「おいしいーね」と、人形に声を
かけるのが精一杯で慌てて次の家へと向かいました。


 調べてみると、ご主人を亡くされていますが、過去帳には
お子さんの記録はありません。亡くしたお嬢さんの変わりの
人形ではなかったことに一安心していました。


お寺での宗祖降誕会でも、人形のピーコちゃんを抱いて、
カラオケを歌っていただく明るい方で、御斎もピーコちゃんと
いっしょに食べられておられました。

亡くなられたご主人が板前さんだったと聞いて、接客業の
方であろうと勝手に想像していました。


 ある年のお盆、バスで鹿島にお墓まいりに行ってきたと
話を聞かされましたが、ピーコちゃんも一緒だったことは
確認しましたが、誰のお墓かは聞かずじまいでした。


正信偈をお勤めするときは、いつも一緒につけていただき、
南無阿弥陀仏も口にする方でしたが、お住まいの借家が
道路拡張で取り壊されて、玄関を入ると、すぐ土間が
続くとても古い家の、入り口に一番近かい一室に移られ、
入り口から丸見えのお仏壇の周りには、あるとあらゆるものが
雑然と置かれて、物置のような状態でした。


 何回かその家にお参りしましたが、ある日、連絡が
とれなくなり、突然 枕経をとの連絡を受け、

葬儀社へいくと、白髪の男の人が居て、息子さんとのこと、
お子さんがいらっしゃったことを初めて知りました。

息子さんは「一緒に生活したことはありません。私は祖母に
育てられたので」と子どもを残して再婚されていたことを知りました。

人形が女の子だったので、息子さんだったことが意外でした。

ご遺体の横には、ピーコちゃんが寝かされ、介護施設でもこの人形と、
いつも一緒だったのだろうと想いました。
お母さんが、いつもこの人形と一緒だったとお話しても、息子さんは
まったく無表情で.お通夜、葬儀、三日参りと、仏さまのお話を聞いていただき、
いよいよ関東へお帰りの時、
「人形は 自分のかわりだったのではないかと、今、思えてきました。
  お世話になりました。ありがとうございました」と、母親が人形を
抱いていたように、お骨を抱いた息子さんとお別れしました。


 遠く離れても、親は子どものことを思っています。子どもは気づきませんが、
離れれば離れるほど、親は思うものです。

阿弥陀さま、南無阿弥陀仏の親さまも私が忘れていようと、いつも
近くにいて見守り励まして居てくれることでしょう。

南無阿弥陀仏の耳に聞こえる仏さまとなって、いつも一緒にいていただく、
そう味わえる出来事を思い出しています。

          


           私も一言(伝言板)