第1328回 自らを灯明とせよ

 平成30年 7月12日~

 ただ今、(  )のおつとめをいたしました。この機会にひとこと、「自灯明、
 法灯明」の教えについて、ご法話を(朗読)させていただきます。

 お釈迦さまが晩年病気にかかられたときのことです。
お弟子たち
は、お釈迦さまがなくなられたら、あとは誰をたよりにしたらよい
だろうかと心配しました。

そのことに気づかれて、お釈迦さまは、
「自らを灯明とし、自らをたよりとして、
他をたよりとせず、法
を灯明とし、法をたよりとして、他のものをよりどころとせずに
あれ」『大般涅槃経』)と語られたといいます。「自灯明、法灯明」の教えとして、
有名なお言葉です。


 とかく私たちは、人の言ったことに左右されがちです。
とくに権
威のある人に追随して、自分で考え、自分で何が正しいかを見定め
ようとはしません。実はその方が安易だからです。
しかし、結局、
「信用していたのにだまされた」ということになりがちです。

人間
が人間を信じるということは、危険性をともなうことなのです。
の言葉を鵜呑みにして頼るのではなく、何か正しいかを、はっきり
見定めることのできる自分を確立してゆくことが、大切であることを、
お釈迦さまは「自らを灯明 (ともしび)とせよ」と教えられ
たのでした。

 それでは、私どもは何を根拠に正しいと判断すればいいのでしょうか。
それをお釈迦さまは「法を灯明(ともしび)とせよ」と教
えられたのです。
法とは、物ごとの本当のあり方のことです。
たと
えば、すべてのものは変化し、永久に続くものは一つとしてありません。
この事実が無常という真理なのです。この疑いようのない真
理を法といいます。

 また、すべてのものは依りあって成り立っています。この事実が
「縁起」という法です。
これらのことは誰でも認める真理ですが、
しかし、私たちはこの明白な事実でも、
自分自身のこととなるとな
かなか認めようとしません。

他人は死んでも、自分はいつまでも元
気でいると思っています。
これが、迷いそのものなのです。
私たち
が、自分だけは例外だ、と無意識に思いこんでいる誤りに気づき、
迷いから抜け出すには、この法に根拠をおき、法に教えられて、自分自身が
目覚めていくことが大切です。
そのことを、お釈迦さまは
「自らを灯明とし、法を灯明とせよ」と、教えられたのです。

では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏……。

                         朗読法話集 第一集 より

          


           私も一言(伝言板)