第1678回 私と 仏さま

 令和7年3月27日~

 阿弥陀さま、如来さま、仏さま、
私たちは 目で見える ご本尊やお名号に手を合わせ、礼拝しています。
そこで、仏さまは、私の外にあって、いつも私を見守り、導いて
いただいているのだろうと、受け取っています。

 しかし、仏さまは 自分の外ではなく 自分の内側 私と
いっしょであるとおっしゃる方に、出会いました。
その方は 「仏」という漢字と 「私」という漢字を書いて 
どこが共通で どこが違うかと聞かれます。 

私と 仏をよく見ていると、「のぎへん」と、
「にんべん」の横に 「カタカナのム」が書かれています。
ムの部分は共通です。

よく似ている 「私」と 「仏」 
のぎへんの 横棒と下の八を消すと、にんべんになり、私が仏になります。
あるいは 仏に 一と八を加えると 私になります。

一と八 があるかないかの違い、この1と8は、 18とも読めます。
もし、貴方がお念仏の教えに出会って 第十八願の教えを、
阿弥陀如来の願いを、聞くことが出来れば、仏と 私とは

いっしょになります。
ですから、お念仏の人の仏さまは 自分の外にあるのではなく、
私といっしょの仏さまであと、気づくことができるのですよと。

 その証拠には、お念仏の教えを聴聞した人は、口から
南無阿弥陀仏のお念仏、南無阿弥陀仏の仏さまが出てくださいます。
私の中の仏さまが 口を通して出てくださるのですから
お念仏の人の中には、仏さまがいらっしゃるのです。

 その私は、損だ得だ、勝った負けたと必死に生きていますが、
時には、仏さまのように優しい心、思いやりのある行動も出来るものです。
こうした多様な、複雑な能力・性質を持つ私が、
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 仏さまが、私の口から
あふれ出て、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏の生活をはじめると、
もう、仏となる仲間、今までの私とは、大きく違った生活が
はじまるのでしょう。

 仏さまを 外に置かないで、仏さまは 私といっしょるとの
思いでの生活をしていく、これが、お念仏の生活、浄土真宗に生きる
有り難い人生であるのだろうと、味わいます。

          


           私も一言(伝言板)