第1601回 溺れる人がいれば

 令和5年 10月5日~

 今回も 本山総合研究所から届けられた言葉です。

【仏教のことば】
 人びとは、ややもすると他力の救いということを、他人をあてにし、
 自分は何もしないでなまけていることのように誤解するのですが、
 決してそうではありません。
 他力とは仏の願力をいうのであって、仏力を主体として、真実に
 生きることをいうのであります。
         (『山本仏骨法話集』2P30· 2023825日配信


【仏教のことば】
 他力の教えは、自分で悟りを開けないもののための仏道であり、
 そのための仏が阿弥陀仏なのです。
 川で溺れている人と、土手にいる人とがいれば、溺れている人を
 救いますよね。(釈 徹宗『歎異抄 救いのことば』P72 826日配信


【仏教のことば】
 懺悔は単なる道徳的反省の心ではない。
 それは光によって映し出された相であることにおいて、
 そこにはすでに光の中にあったという法悦(ホウエツ)と、しかも
 常にその光に背きつつあるものという慚愧(ザンギ)の心とが
 交錯するものである。(村上速水『親鸞読本』P182) 829


【仏教のことば】
 唯円房があやまっている人たちを、…打ち破ってしまえば
 それでいいのだというような裁きの態度でかいたものでなく、
 …そのあやまれるものを抱きしめて歎かずにおれないところに
 「歎異抄」全体に流れている持ち味が知られると思うのであります。
      (山本仏骨『歎異抄のこころ』P22830

【仏教のことば】
 今、諸君たちは現実的に宗教を必要としないかもしれない。
 しかし今、君たちは宗教に対して決して無関心であってはならない。
 何が正しい宗教であるか、また何が誤った宗教であるかを
 見極める目を今の時期に養っておかねばならない。
    (淺田正博『私の歩んだ仏の道』P32) 831

          


           私も一言(伝言板)