第1415回 終活で一番大事なこと

 令和2年 3月12日〜

 「お仏壇やお墓を残していくのは、若い者に迷惑が
かかるので、生きているうちに始末しておこう」と、
墓じまい、仏壇じまいということをよく聞きます。

 これまで手を合わせ、お参りをしてきたお墓。
礼拝をしてきたお仏壇は、自分が死んだら、
もうなくなってもよいようなものだったのでしょうか。


新聞で見た川柳に、「行く先を告げずに友は逝きました」
との一句がありました。
これは友達は、行方不明になった、ということ。


これを聞いて、ある方が、「生きている人が
行方不明になった時は、警察に届けますが、
亡くなった人が行方不明の時は、どこへ
届けたらいいのですか?」。

そして、その人が続けて「お寺ですね。
手次寺のご住職に届けて、尋ねなくては
ならないですね」と言われた。


大事な連れ合いや、親が亡くなった。
どこへ逝ったか分からない。行方不明になって
しまったのなら。やはり、届け出て、捜さ
なければならないわけです。


その意味で、「終活で一番大事なこと」
というのは、行く先をはっきり告げて逝く
ということではないでしょう。自分の行く先を
はっきり言って逝くということが大事です。


ところが、先に亡くなった人の逝かれた
ところが分からない、
行方不明にしてしまっているので、自分も
亡くなったら行方不明になるわけです。


ですから「自分がどこへ逝くのか」という
ことをはっきり、告げていくことが、
終活で一番大事なのではないでしょうか。


けれども、それが言えない。告げられない。
なぜでしょうか。どうして言えないのでしょうか。
それは、「死んだらしまい」という、いのちしか
生きていないからではないでしょうか。
死んだら終わりだという、いのちしか生きて
いないから、はっきりと伝えられない。


終活の問題というのは、実は人間に生まれた
根本課題、それは何を根拠に生きるのか、
という生きる拠りどころと、方向が問われて
いる問題なのでないか。それがほかならない
「あなたは、どんないのちを生きているのか」。
それが問われているのが終活ではないでしょうか。


終活は、お年寄の話、若い者には関係無いと
言われるかもしれませんが、若い者も年寄りも、
私たちに等しく問われている一大事です。
「私はどんないのちを生きているのか」。
死んだら終わり といういのちを生きているのか、
それともそうでないのか。これが問われて
いるんです。


これを蓮如上人は、「後生の一大事」と。
ですから、蓮如上人のお言葉で言ったら
「後生の一大事」がはっきりしたか、
ということなんですね。


「後生の一大事」を死後の話だと思われる
でしょうが、違うんです。
今、生きているから、後生の一大事が問題に
なるわけです。
自分はどこへ逝くのか。人生の方向性です。
どんないのちを今、生きているのか。
これが問われているのですから、まさしく
今の問題です。


  池田勇諦師のご法話要約
三重教区桑名組西恩寺前住職。同朋大学名誉教授


          


           私も一言(伝言板)