第601回 八功徳水

 
平成16年 7月29日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

今年は例年以上に暑い夏のようです。

ついつい水やお茶、飲み物に手が出てしまいます。
その水を飲み 喉を潤した瞬間はありがたく思うものですが、またすぐに
喉が渇いてきます。ところで、浄土三部経には八功徳水という言葉が
出てきます。

阿弥陀経というお経では、「お浄土には、七宝の池あり、八功徳水
その中に充満せり」

これを意訳で読みますと、「お浄土には、七つの宝石で飾られた池がある。
その池には、八つのすぐれた性質を持つ浄らかに澄んだ水がたたえられ、
池の底にはくまなく黄金の砂が敷きつめられている。」とあります。


八功徳水とは、八つのすぐれた性質をもった水で、一つはきれいで、
つややか。二つ、臭いがない。三つ軽やか。四つ冷ややか。五つ軟らか。
六つ美味しく。七つ飲みやすく。八つ安心して飲める水だと解説されています。


これだけ見ると、いま冷蔵庫で冷やされているペット入りの水は、
みなその功徳をそなえていると思います。


私たちは、お浄土といえば、どこか遠いところにある別の世界のように
感じています。


そこに行かなければ、お浄土の功徳は受け取れないものであると思い。
いま現在は、手に入らない功徳であろうと感じています。


しかし、よくよく考えてみると、この世にもお浄土に近い性質を持つ水は
存在しているのです。


ただお浄土とこの娑婆との違いは、その水を飲む人、必要とする人が
その功徳の全てを感じる能力を持っているのか、持っていないのかの
違いではないかと思います。


水ばかりではなく、空気も光りもみんな当たり前となって、何の感動も
喜びも感じないまま平凡な日常を過ごしています。


その力、働きに気づくことが出来る世界と、何も感動しない世界との違いが、
お浄土と娑婆の違いではないかと、思います。


どんなに親切にされてもお世話になっても、その働きを、感ずることが
出きなければ、いかに多くの人に支えられていても、何の感動も喜びも
ないのではないか。


この世にあるもので、それを正しく受け取ることが出来る能力が育てられる、
それがお念仏をいただいた生活、南无阿弥陀仏の人生だと思います。


気づいてみれば、こんなにも多くの力に支えられている私であったと、
味わえる世界が開けてくるのだと思います。


それが南无阿弥陀仏の働きであると。

妙念寺電話サービスお電話有り難うございました。
次回は、8月5日に新しい内容に変わります。