第1440回 命の長短を超える

令和2年 9月3日〜

 今まで長生きというものは、
時間を延ばすことでした。


医療文化は一生懸命に命の時問的な
長さを延ばすための延命、救命に
取り組んできました。


ですが、現在の医療・福祉の現場で
なされている多くの延命治療の状態を
考えてみると、どうも私たちが本当に

願っている長生きとは違うように
思われるのです。


量的な長さを追い求める発想では、
確かに生きている時間の長さが評価
されるでしょう。

しかし、仏の智慧で質というものを
考える視点をいただくとき、

量的発想を超える内容の質的時間への
目覚めがあります。


命の時間的な長短の世界から解放される
質的時問、「今、無量寿を生きる。
今、永遠を生きる」という世界が
開けるのです。


そうすると我々が願っている本当の
長寿とは、量的な時間を超えて

質的な無量寿を生きることではないか
と目覚めるのです。


それは信心の世界での無量寿、
つまり南無阿弥陀仏に出遇うことです。

南無阿弥陀仏に出遇うと、いわば
「仏さまにおまかせする」という、

命の時間の長短にとらわれない世界を
生さることができるようになるのです。


『歎異抄』の第一条には
「弥陀の誓願不思議にたすけられ
 まゐらせて、往生をばとぐるなり
 と信じて念仏申さんとおもひたつ
 こころのおこるとき、すなはち
 摂取不捨の利益にあづけしめ
 たまふなり」(『註釈版聖典』八三一頁)
とあります。

仏の心に触れて不思議にも摂取不捨
される世界が表現されています。
仏さまの心に出遇って、出遇うべき
ものに出遇ってよかった、
いつ死んでもいい、
いつまで長生きしてもいい、
後は仏さまにおまかせします。

私は与えられた場を精一杯、仏さまの
心をいただき(念仏して)、受け取って
生き切るという「南無阿弥陀仏」の世界に
出遇うならば、そのことが私たちの
本当に願っている長生きではないだろうかと、
この願が私たちに教えてくれているように
思われます。


医療文化と仏教文化 田畑正久著 本願寺出版社


     


           私も一言(伝言板)