第1410回 よかったね

 令和 2年 2月6日〜

 九十四歳で亡くなられた、老ご住職のお通夜に参列しました。
お通夜の導師は、お隣の寺のご住職でしたが、
父親同士が、若い頃から深いお付き合いがあって、自分も若い時に、
いろんなことをと教えて頂いた、誠に有り難い大先輩であったとの
御法話をいただきました。

 その一つに もう二十年ほど前、自分の父親が亡くなった時に、
坊守さんが電話で「前住職が今朝方 往生いたしました」と
お知らせし、枕経をお願いしたいと、連絡したところ「よかったね」と、
返事をしていただいたとの思い出です。

普通、亡くなることは悲しくて、「残念だったね」との返事をしますが、
よく知った仲間でもあり、日頃の生活を知っておられることもあり、
「お浄土に生まれ 仏になられたことは間違いない 良かったね」と
おっしゃっていただいたのだと気づき、有り難く、うれしかったことを
思い出すとのお話でした。

老・病・死は 良くないこと、特に死は 最も悪いことというのが
世間の常識です。
しかし、浄土真宗は、お念仏の教えでは、死んで終わりではなく、
南无阿弥陀仏の人は お浄土に生まれて、仏と成らせていただき、
それからは 仏として存分に活躍出来ると説かれている教えです。

 お念仏の盛んな地方では、お念仏の人が亡くなると赤飯を炊くと
聞いたことがあります。
この苦しみの世界を生き抜いて、今度はお浄土へ生まれ 仏になられた
目出度く、有り難いことだと、喜びを表してのことでしょう。

しかし、人間の情としては 別れるのが悲しく、赤飯につける汁物は
胡椒を沢山入れて、一口すすると、辛くて辛くて、涙が出る様なものを
準備するといいます。。
亡くなられて、仏と成られたことは、喜ばねがならないのに、
親しい人との別れは、辛く悲しいと、辛い汁物を飲み、みんなで、
涙を流すというのです。

死んだらすべてが無くなり、終わりでは無く、お浄土に生まれて往き
仏に成していただける。「よかったね」「目出度いことですね」と
言い合えるような、そんなお仲間を増やしていきたいものです。

死んだのではなく 往生し、仏に成られた 良かったねと
お互い素直に言えるような、そんなお念仏の仲間とともに
喜びの人生を送らせていただきたいものです。

          


           私も一言(伝言板)