第930回 今がチャンス  〜あれもご縁 これもご縁〜

 平成22年 11月18日〜

教務所で 見つけて購入した 「自分の心に気づくとき」(法蔵館)という 
カウンセリングの専門家で お坊さんでもある 譲西賢さんの著作に

こんなところがありました。

苦しみをとおして 真実に気づく

私たちが 一回で気がつけるとはかぎりません。かけがえのない家族が亡くなり、
お葬式で火葬場から帰ってくると、塩をかけて清めたりしませんか。

「遺体にふれたから体を清めれば」と、塩をまいて清めるという思い違いです。

かけがえのない家族が、死んでまでも「気がついてくれ」と呼びかけてくださったのに、
気づけないのです。


道綽禅師のことばでいえば、「後に生まれん者は、先を訪え」です。
訪ねて教えてもらいなさい。
あなたは 思い通りになれば幸せだと思っている、そんな生き方が、
ほんとうにできると思うのですかという問いをいただくのです。

もちろん、うれしいことも含めた真実があるのですが、それを自分の思いでしか
受けとめられなくなってしまっているあなた一人を、阿弥陀さまは救わんがために
呼びかけられているのです。


「救わん」というのは、思い通りにするという意味での救いではありません。
思い通りになれば幸せだと、思い違いをしている人が、ほんとうに心安らいで
生きていける人間に成れるという救いです。


真実のすがたに基づいた生き方ができるために、あなたは煩悩だらけのままであっても、
私のほうから気づくチャンスを届けて、ちゃんと気づかせてあげましょうという
誓いをもって、救ってくださるのです。


人間は何回か裏切られたら「もう、あんなやつ知らん」と、愛想を尽かして
しまうのですが、阿弥陀さまは、何度裏切られても、いつでもどこでも私たちに、
これでもかこれでもかと、私たちが気づくまで方便を届け続けてくださっています。

阿弥陀さまは、そういうはたらきです。

ですから、困ったなという、その瞬間にこそ、阿弥陀さまが私に気づけというチャンスを
与えてくださっているのです。まさに千載一遇のチャンスだという受け止め方が
出来るということです。


私たちの心に響いてくる声はそういう形で届いているのです。・・・・・

と書いてあります。

そういえは 楽しいこと嬉しいこと 有頂天の時には 私たちは なかなか
気づくチャンスが訪れてはこないものです。

悲しい時 苦しい時 思い通りにならないとき 嘆き悲しむだけではなく 
今こそ チャンスと 阿弥陀さまの呼びかけを 聞かせていただきたいものです。

先日の法座の時に 大きな蜂が本堂の中に入ってきました。
慌てて 追い出そうとしても 人間の思い通りにはなりません。
まじめに ちゃんと生きていても 蜂に刺されるときは刺されるもの
良いことをしていても悪いことをしなくても 問題は次々に起こってくるものです。

何で 自分だけこんな 苦しみが起こるのかと嘆き悲しみながらの人生で終わって
しまうのではなく、これは 阿弥陀さまが与えてくださった尊いご縁であったと 喜び、
お念仏に出あわせて頂けるチャンスであったと味わえる 人生を送らせて
いただきたいものです。


あれもご縁 これもご縁 苦しい時 悲しい時これこそ 阿弥陀さまからの
プレゼントだと 喜ばせて頂きたいものです。



妙念寺電話サービス 次回は 11月25日に新しい内容に変わります。

         


           私も一言(伝言板)