第1396回 苦悩は なぜ おこるのか

 令和元年 10月31日~

お釈迦さまは、「苦しみ悩みの原因は、いったい何なのか」
「それをとり除くには、どうすればいいのか」、自分の悩みそのものと
真剣に向きあうなかで、自分の心を観察しつづけられたのです。

そしてついに、「老・病・死に代表される苦悩は、何によっておこるか」の
答えを見出し、覚者(目覚めたるもの、仏陀)となられたのです。

ときに三十五歳でありました。

 釈尊の発見は、ものごとは自分の思いどおりにはならず、また願うような結果
にはならない。そのように思いどおりにならず、願いどおりにならないときに、
苦しみ悩みが生じる。というものでした。


たとえば、人は必ず死ぬことがわかっているのに、私だけは死にたくないと願います。
ここに悩みがはじまるように、私たちが何かしたいと思ったときに、うまくいかないと
そこに悩みが生れてくるのです。
つまり、私たちの心には、いつも「ああしたい、こうしたい」という欲望があり、
その欲望が満だされないときに、苦しみ、悩みを味わいます。


 釈尊は、「このような欲望(煩悩)こそが、私たちの苦悩の原因である」と。
つまり、「苦しみは私の外にあるのではなく、自分の思いどおりにしたいという、
私の内にある煩悩によって生れてくる」と目覚められたのです。


 私たちはややもすると、「こんな病気になったのは、休みなく働かされたためだ」とか、
「お金さえあれば死なずにすんだ」とか、私の苦しみの原因はすべて外にあると考えがちです。

つまり、自分に都合のいい条件が、すべてととのえば「しあわせ」になれると考えています。
そこで、自分に都合の良いものはどんどんむさぼり(貪欲)、都合の悪いものにはいがり・
腹立ちの心で接していく(瞋恚)ように、ものごとを正しく見ることができない心(愚痴)で、
判断していこうとします。


 本当は、ものごとを正しく見ることができないのに、自分はいつでも正しいと思っています。
このようなお互いの心がぶつかりあえば、当然そこには争いが生れ、苦しみが
生れてくるでしょう。


 釈尊は、「そのような苦しみの原因は外にあるのではなく、すべて自分に都合のいいように、
自分中心にしか見られない私の心=煩悩に原因がある」と内観して、
「外に求めていた苦しみの原因は、実は私自身が私の心によって作り出していた」と
明らかにされたのです。
ですから当然、その煩悩をとり除けば、苦悩がなくなることになります。


 それでは、私たちの煩悩は簡単にとり除けるのでしょうか。
実際、シッダールタが行った六年間のさまざまご苦行によっては、ついに煩悩を
滅し尽くすことができなかったように、煩悩を取り除くことは大変むずかしいことです。

なぜなら、煩悩は、人間のもっと根本にある本能(食欲・性欲・睡眠欲)から起こる
ことに気づいたからです。
人間であるかぎり本能をなくすことはできません。本能がなくなったら、
人間でいられなくなるからです。


 しかし、シッダールタは、自らを深く内観することにより、本能があるから
苦しみが生じてくるのではなく、本能がものの本当の姿を知らない無知に
支配されているから、苦しみが生じてくるのだと気づきました。
つまり、「苦の原因となる自己中心の心=煩悩は、ものの本当のあり方に
無知であるところからおこる」とされたのです。


           中央仏教学院 通信教育 入門課程 テキスト より


          


           私も一言(伝言板)