第931回 目覚めれば弥陀の懐 〜生きる目的と喜びを〜

 平成22年 11月25日〜

5年ほど前 お念仏とご縁の深い 二人のお医者さんに おいでいただき 
講演会を開きました。

そのお一人である 駒沢勝先生が 「目覚めれば弥陀の懐」
 〜小児科医が語る親鸞の教え〜 (法蔵館)が、
出版され 仲間で揃って購入し それを、読ませていただきました。


その本の帯には 
幼くして命を失う子供や、不治の病と共に生きる幼い子を
目の当たりにして医療と科学の限界を感じた著者が「生きる意味」を
親鸞の教えから説き明かす・・・とあります。

そして、本文の「何のために生きるのか」という項目に
こんな文章がありました。


人生で肝心なのは、手段ではなく目的である。
まともな目的があって意味ある人生である。

しかし、今の社会は、ほとんどの人がそれを問題にしていない。
手段ばかりに気を奪われている。だから、いきなり人生の目的と言われても、
大抵の人は、何を目的にするべきか、何がまともな目的か、皆目見当もつかない
かも知れない。


第一、今の学校では小学校から大学までのほとんどが、生きるための
手段のみを教え、研究し、生きる目的については少しも教えない。
考えさせない。

今は情報社会で巷には情報が氾濫するが、人生の目的についての情報は
ほとんどない。
崇高な哲学には解答があるかも知れないが、凡人には手が届かない。

実はその答えこそ浄土真宗が教えてくれる。
親鸞はいわば人生の意義を深く掘り下げ、人生の手段ではなく、
目的とその達成法を教えてくれる。

念仏や往生浄土とは一体どういうことかを教え、そしてそれこそが
万人にとっての正当な目的だと教えてくれる。
しかもその目的達成には努力も精進も不要だと言う。

病気はもちろん、貧困も、戦争も何一つ目的達成の障害にはならない。
それどころか、これらはすべて、むしろ目的達成に後押ししてくれる。
何一つ無駄なものはない。一切があるがままで、人生の本当の目的を
達成できると教えてくれる。それが浄土真宗である。・・・・

とあります。

また、こんなことも書かれています。

科学や医学の限界を強く感じ、科学や医療には根本的な何かが欠けているように
思えてきた。

その欠けたものが何かはまったくわからなかったが、
それは科学、医学の対極にあると思っていた念仏の世界にあるように思えてきた。


そう言えば医学は毎年、何百もの学会を開き、何万もの研究成果を発表して、
わずか数年前に立てられた新説を次々に新しいものに置き換えている。

今発表される新説も数年後には捨てられたり、打ち壊される運命にある。

それに引き替え、仏教が説かれて2500年、親鸞が生まれて800年、
教えは少しも動じていないではないか。・・・・・

ともあります。

何のために生まれ 何が目的で生きているのか。それをはっきりと教えてくれ
生きる喜びと 生きる意味を教えてくれるのが 南無阿弥陀仏の教えであると
思います。

南無阿弥陀仏を 聞くことで この人生は 大きく変わってくるのだと味わいます。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、12月2日に新しい内容に変わります。

         


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