第1469回 母が植えた花

 令和3年 3月25日~

 奥さんのご両親のご縁で、毎月お参りしている
お宅のご主人が、こんな話しをしてくださいました。


 お彼岸やお盆、田舎のお墓にお参りして、
生まれ育った家に立ち寄るのですが、

親が植えていた水仙や 梅の花、桜、コスモス 
椿、いついっても、何か花が咲いているんですよ。


兄が亡くなって、甥っ子たちはみんな都会住まい、
無人の家の周りは
 雑草が一杯ですが、その中に、
いつも花が咲いているんです。

母親は自分が亡くなったあと、子どもたちが
帰って来たときに、寂しくないよう楽しませようと、
花を植えてくれていたのでしょうね。
有り難いことですと。


 田舎には はたらく場所がなく、若者はみんな
都会に出てしまいます。

自分も18歳までで、あとは田舎に 一年一回
帰れれば良い方で、親たちは寂しい思いを
したのだろうと、自分の子どもが巣立ってみて

やっと、その気持ちが分かるようになりました。

 仕事や子育てで夢中な時には、余裕がなく
自分のことしか考えられませんでしたが、

お寺で仏さまのお話を聞かせていただき、
少しは親の想いに
 気づかせてもらえる
ようになりました。


定年を迎えて 家庭の中で過ごすようになると、
変化が少なく、退屈でしかたがありませんでしたが、
お聴聞のご縁をいただいて、世界が広がった

そんな気持ちになれました。

いつも、自分の方からばかり世の中を見ていましたが、
仏さまはこの私をどう見ておられるのか、
見られる自分、客観的に自分を見るそんな

力を育てられたように思いますし、気づきもしなかった、
周りの人々の思いにも、少しは気づけるように
なったように、思えます。


 本当に多くの人々 多くの自然、大きな力に
支えられていることを感じることが出来、

歳をとることも、有り難いと、思えるように
なったのも、お墓や お仏壇のおかげでしょうね。
と、
 お話をいただきました。

 お念仏にであうことは、自分が自分で良かった、
有り難い人生だったと思えるようにお育て
いただくこと、それが、この世で、仏の仲間に
なったということだろうと味わいます。


          


           私も一言(伝言板)