第1602回 難しい道と 易しい道

 令和5年 10月12日~

 西本願寺の総合研究所からの【仏教のことば】の紹介です。

【仏教のことば】
 仏教の重要な目的の一つは自己を知ることだとよく言われます。
 まさにそのとおりであって、仏陀とは自己を知り尽くされた人だと
 言ってもよいでしょう。
  (徳永道雄(一道)『観無量寿経を読む』P42 202391日配信


【仏教のことば】
 布教使の方によく言うのですが、自分の考えを言った時に、
 相手が共鳴してくれたら、それは…真実であることを証明して
 くれているのです。
 承認してもらえることが有り難いのですから、
 「教えてやるなんて思ったら大間違いだ」と言うのです。
   (梯 實圓『季刊せいてん』106P3992日配信


【仏教のことば】
「自分が信心を得てもいないのに、人に信心を得なさいと勧めるのは、
 自分は何もものを持たないでいて、人にものを与えようとするような
 ものである。これでは人が承知するはずがない」と、蓮如上人は
 お示しになった
   (『蓮如上人御一代記聞書(現代語版)』P6693


【仏教のことば】
 仏法には、はかり知れないほど多くの教えがある。
 たとえば、世の中に難しい道と易しい道とがあり、陸路を
 歩んでいくのは苦しいが、水路を船に乗って渡るのは
 楽しいようなものである。
 菩薩の道も同じであり、修行に努め励む道もあれば、
 仏の教えを信じるという易行(いぎょう)によって
 速やかに不退転の位に至る道もある。
  (『十住毘婆沙論 浄土論(現代語版)』P6)9月4日


【仏教のことば】
 私たちは「南無阿弥陀仏」という名号を通して、間違いなく
 お救いくださる阿弥陀さまと、いまここで出遇(あ)って
 いくのです。ですからお念仏を称えながら阿弥陀さまを
 探す必要はありません。
 (赤井智顕『なぜ?どうして?浄土真宗の教学相談』P995


【仏教のことば】
 私が疑わないことに決め、私が信心する。
 その私が残っている事が問題なのです。
 …深く信ずるとは…如来回向の信心のことです。
 自分が信心によって救いを掴もうとする立場から、この身
 このままを如来に摂取されて行く立場に転換されることです。
    (井上啓一『真宗の法話』P2398

          


           私も一言(伝言板)