第1674回 アリガトウ

 令和7年 2月 27日~

 二〇年前の電話法話の原稿を整理していましたら、こんな文章に出会いました。
千代田町の貞包哲朗先生がお書きになった御法話、その一部です。


 私たちの生活は「こと、ひと、もの」で成り立っていると教えられます。
「こと」とは、毎日の世事一切の出来事、「ひと」とは、周りの人のこと、 
「もの」は物品です。                             
周りの人への感謝の表現は、なかなか難しいものです。               
そこで、先ず身近な「もの」つまり「道具」に「アリガトウ」ということから     
始めようと思いました。

人は笑うかも知れませんが、ここは理屈なしに何にでも「アリガトウ」と       
いうことから始めようと思い立ちました。

先ず朝、起き上がり毛布をたたむ時「一晩暖めてくれてアリガトウ」。
足を通すパンツにも「アリガトウ、一日たのむよ」
スリッパにも 「足を包んでくれてアリガトウ」。                         
とにかく手、足が触れるもの全てに「アリガトウ」を言う。             
そのうち殊勝な自分がおかしくなって、つい笑ってしまう。            
つまりひとりの時に笑顔が出ることになりました。                     

「これはいいなあ」とやっていると、自然に「わが身」にも「アリガトウ」が出る。     
手や足、目や耳に「70年間よく助けてくれたのに今まで一度もお礼を       
いわなかった。                                
スミマセン、アリガトウ」。

そのうち「他の人」へ、身のまわりに起こる「こと」にも、時にはアリガトウが  
出るようになりました。                             
その結果、自然に分かって来たことが幾つかあります。               
先ずは、「イライラ、セカセカ」がなくなってくることです。             
何をやるにも無意識にせかせかする癖があったのが、「アリガトウ」を        
言いながらすると自然にそれが消えています。 

 二つに、何故か心が和んで来る。すると、やることが失敗なくスムーズにできる。  
三に、言っているうちに分かって来たことは「アリガトウ」と言うのが        
アタリマエということ。                            
何故ならそれらの力添えで私の生活は成り立っている。               
だから感謝の言葉はなにも特別の善い行為でも何でもない。            
むしろ言うことで、自分が幸せな気分になる作用をもっていることに気付きます。   
四に、不思議に、周りの人を責める気持ちが少なくなっている。          
五に、何よりも面白いことは、考え方が積極的になる。  
            
例えば、朝目覚めて神経痛で右足が痛い。                     
今までは「ああ、イタイ、ツライ、朝からイヤダナ」の気分で、           
のそのそ起きていたのが「痛いのは、人一倍?、私の為に              
働いてくれたのだ。それなのにいままで一言の礼もいわなかった。         
すまなかった、アリガトウ」すると、「痛いと言っても身体のごく一部じゃないか。  
手も動く、目も見える、歩くことはできる。                     
それなら結構じゃないか」という思い方になっている自分に気付きます。      
そして前よりも気分あかるく起きていくことが出来るようになりました。・・・・


 という体験談を元にしたご法話です。
アリガトウと同じように、南無阿弥陀仏も感謝の言葉、南無阿弥陀仏を      
口にする生活をしてみると、アリガトウと口にする生活と同じく、徐々に      
変わっていく自分が見えて来て有り難いものです。

             宗教 (教育新潮社)平成十四年 二月号


 

          


           私も一言(伝言板)