第1383回 往相回向・還相回向に集約される浄土真宗

 令和元年 8月 1日~

 お念仏の救いといっても、ピンからキリまであります。
天台宗には天台の浄土教があり、真言宗には真言の浄土教があり、三論宗には
三論の浄土教があり、法相宗には法相の浄土教があります。

どこの宗旨にもちゃんと浄土教があるのです。
みんなお浄土に生まれていく方途というものが説かれているのです。


そのなかでは、お念仏を申して浄土に生まれるという、凡夫にはその道しか
ないのだけれど、良く出来る方は 他にこういう道があるのだというように、
いろいろなことが説かれているのです。


 そういうことを、親鸞聖人は全部知り尽くした上で、お釈迦様が『大無量寿経』
のなかで展開された阿弥陀様の救いの教えを、浄土真宗と名づけるのだと言われるのです。
浄土に生まれていく真実の教えを浄土真宗と名づけるのだと。
浄土の教えというのは、すべてこの一点に集約するように出来ているのだと。


お釈迦様は、いろんなことを教えとしてお説きになられているけれど、
究極のところに行けばこの一点に集約されているのです。
これが浄土真宗という名前で呼ばれなければならない教えのすがたなのだという、
そのことを『教行証文類』という書物を著して明らかにするというのです。

それで一番最初のところに、「謹んで浄土真宗を按ずるに……」と、浄土真宗
というものをよくよく味わせていただくと、二種の回向があると言っておられるのです。

それは何かというと、「一つには往相、二つに還相なり」と、
そして「往相の回向について真実の教行信証あり」と、こういう言葉で仰っているのです。

 この「往相回向」「還相回向」とは、どういうことかというと、これは「本願力回向」
であると親鸞聖人は仰っておられます。
この阿弥陀様の「本願力回向」について、「往相の回向」と「還相の回向」という
ことかあるのだと。
その「往相回向」ということについて、この中に「教・行・信・証」の謂われが
開かれているのだと。


 この回向というのは、一般的には、私たちが仏さまに何か物を差し上げること
回向と言ったり、お寺さんに物を差し上げることを回向と言ったりしますが、

これは真宗でいう回向とは違います。
これは人間がやる仕事ですよ。


正しい回向ならおこなっても良いのかもしれませんが、取り引きのような回向は
してはいけないのです。
これだけのことをやれば、いくら返ってくるかという、そういう計算づくで
回向するようなことではだめなのです。


本当の回向は、如来様のお仕事なのです。
如来様が、そのお徳を私たちに与えてくださっているのです。
そのお徳を、どういう形で与えてくださるかというと、「教・行・信・証」
という形で与えてくださるのです。

 「教」というのはお経のことです。
親鸞聖人は、「それ真実の教を顕わさば、すなはち『大無量寿経』これなり」と
仰っています。『大無量寿経』というお経となって、阿弥陀様はお経の言葉となって、
救いの道を私たちに与えてくださっていると、こう言われているのです。


 往相というのは、浄土に往生する有り様のことで、それを私たちに与えて
くださっているのです。
浄土に往生する有り様が私の上に与えられているというのですが、そんなことは
有り得ないと思っているかもしれませんが、しかし皆さんがたは今ここで教えを
聞いておられるでしょう。

この教えは誰からいただいたのですか、この教えは誰が説いたのですか。
お釈迦様でしょ。お釈迦様が教えを説いて私たちを、「さあ、私がお浄土から
やってきた そのお浄土に還るのですよ」と、

お釈迦様が教えてくださっているのです。
その『大無量寿経』が説法となって、その教えは私の上に回向されているのです。

            浄土から届く真実の教え
  梯実圓師 自照社出版


          


           私も一言(伝言板)