第1334回 願以此功徳

 
平成30年 8月23日〜

お勤めの最後に「願はくは この功徳を以て……」というと、
意味がわからなくても、お経を読んで、仏さまに聞かせれば、
それが功徳となって、ご利益がえられる……と、自分勝手に
考えている人がおられるようです。


 しかし、「お経」は、仏さまから聞かせていただくものであって、
迷いの凡夫が意味も考えずに発音して、仏さまに聞かせてあげる
ものではありません。

この「功徳」とは、読み、味わった、お経に説かれていた、阿弥陀さまの
すばらしいはたらきのことであります。


阿弥陀さまが、菩薩として修行されたときに積み重ねられた善根の果報として
そなわった、すばらしい救いのはたらきを「功徳」とあらわしたのです。

阿弥陀さまのことを説かれた「お経」を通して、阿弥陀さまがあらゆる人びとを

平等に救いたもう。すぐれたはたらきを知らせていただきました。

 ですから、知らせていただいたすばらしい功徳を、ご縁のある人びとに伝えて、
伝えた者も聞いてくださった人も、ともに仏さまを尊く仰ぐ心をおこして、
安らかで幸せな阿弥陀さまの国を目指して生きて往きます……と、
み教えに遇えた者が、自らの生き方と責任を仏さまに対して表明することばが、
この「願以此功徳」の句だったのです。

 お互いに「願以此功徳……」と、となえていますが、浄土に向かって
生きている、阿弥陀さまにお会いさせていただく人生を生きている……との
自覚を持っているでしょうか。

 間違いなく浄土へ生まれる身と聞けば、せめて浄土にふさわしい生き方をと、
緊張感を持つべきではないでしょうか。
決して、立派に生きなければ往生できないということではありません。
むしろ、いかなる生き方であっても、必ずお浄土に生まれさせていただくと聞くとき、
せめてもお浄土にふさわしく生きようとすべきではないでしょうか。

 教えを通して静かに浄土を思うとき、浄土の光が闇のごとき人生を生きる人に

とどき、その人をしてかがやく願生行者へと育ててゆきます。

 恩師山本仏骨先生は、晩年、「華厳」と題されて、次のような和歌を遺されました。

  一輪の華をかかげて今日もまた

     浄土へかへる旅をつづけむ

         生きるよろこび 本願寺出版社 天岸浄圓師

          


           私も一言(伝言板)