第1480回 声に余言をあらはさず 

    ~三窪 宗一郎さんの思い出~


 令和 3年 6月10日~ 

100歳を過ぎられての月忌参り、正信偈のお勤めは いつも途中で
早くなったり遅くなったり、なかなか揃いません。
耳が遠くなられて、周りの声が聞こえていないのでしょう。
時々、お勤めを止め、三窪さんに合わせてお勤めしていました。

 本堂での法要では さすがに多勢に無勢、お一人だけ
違ったところを、大声でとなえておられましたが、みなさん誰も気にせず、
そのうち、また、どこかで、一緒にそろっていました。

 ご自宅には、軍艦の模型が飾ってあり、鹿児島のお生まれ、
海軍の軍人さんだったとのこと。
長く乗っていた模型のその船は 撃沈され海に投げ出され、
次に乗った船も、魚雷で沈没、何度も海水を飲みましたが、
生き残させていただきましたと、会話が成り立つ頃に伺っていました。

奥さんの悩みは、台風の夜でも家の周りを必ず見回ってからでないと、
寝られないとのこと、それが心配と聞きました。
若い時、船内を見回る習慣が身についておられたのでしょう。
100歳を過ぎても必ず、自宅の見回りをされていたとのことです。

 お子さんがなく、これから皆さんにお世話になりますのでと、
本堂欄間の金箔の張り替え、祖師前・蓮師前の上卓はじめ、
色衣や、打ち敷など、生活を切り詰めてご寄進され,ご苦労いただきました。

 春の降誕会、秋の法座をはじめ、毎月の勉強会も 必ずご夫婦で
お参りいただき、熱心にお聴聞いただきました。
「テレビは聞こえないので字幕で見ています」とおっしゃったこともあり、
お話と同時に、スライドで大きな字を表示しながらの勉強会をはじめたのも、
この方に、お味わいいただくためでした。

 肺炎になられて入院に付き添いましたが、いつも口を動かして
おられます。苦しいのだろうと、心配しましたが、きっと
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、心配なし 心配なし」と、
おっしゃっているのでしょうねと、奥さんと見守ったものです。


 お亡くなりになるときも、最後まで ずっと口が動いていました。
ナンマンダブ ナンマンダブとお浄土へ往生されたことでしょう。
お葬式は本堂で、門信徒会のみなさん揃って、有り難い大先輩を
お送りしました。合同埋葬の墓地に最初に入っていただきました。

 修復いただいた欄間の立体的な龍の彫り物には 普通の蛍光灯ではなく
太陽光に近い昼日光を当てて、今も光り輝き,三窪さんに、
ずっと見守っていただいていると味わっています。


          


           私も一言(伝言板)