第1310回 もらったこと

平成30年 3月8日〜

毎日 ご門徒のお宅にお参りしていますが、時々お会いする方と
よくお会いする方とでは 大きな違いがあることに気づきました。

本堂でのご法座で、よくお顔を拝見する方々、月忌参りでいつもお会いする方とは
ご自宅のお仏壇の前で、ご一緒にお勤めをし、仏さまのお話をした後も、話が弾み、
楽しく帰ることができます。
しかし、本堂で、ほとんどお顔を拝見しない方、数年ぶりにお訪ねした方の
お宅からの帰り道は、とても疲れを感じるものです。

 仏さまのお話を聞くご縁が少ない方は、ご自分のご苦労や、体の痛み苦しみ、経験した
悔しいこと辛いことなど、世の中の苦しみを独り占めしたように次から次に、訴えてこられます。
子どもにどれだけ尽くしたか、ご主人や義理のご両親に、どんなに苦労したか、
そのご苦労を次々にお話くださいます。

誰かに話すことで、こころが落ち着くのでしょうから、住職に話していただくのは、
誠に有り難いことではありますが、少々疲れます。


「仏さまは、この私のことを一人子のように いつも見守っておられるといいますから、
 貴方に、ご苦労じゃったなー、よーう頑張ったなあと、そのご苦労を認め、ほめて
 おられると思いますよ」と、申しても、聞く耳を持たず、悔しさ辛さを訴えつづけられます。

どうも、人間は 自分が頑張ったこと してあげたことは 何時までも憶えていて、
ああしてやった、こうしてやったと言うものの、反対に、両親始め多くの方々に、
お世話をかけたことや、やってもらったことは、ほとんど気づかず、気づいても
すぐ忘れてしまい、当たり前になるもののようです。

目が外に向いていますので、自分のことはよく見えず、気づかないものですが
仏さまのお話を聞くことによって、見る目が変わってくるものです。
仏さまがご苦労をして、私にはたらきかけておられることを聞かせていただくこと
お聴聞をすることで、自分が受けたご恩に気づくことが出来るように育てられていくのです。

お聴聞をされる方が、落ち着いて堂々と生活をしておられるのは、
受けたご恩を気づくことが出来、多くの力に支えられている自分であったと
知る事が出来、自分は多くの人々に支えられて生きていることが分かったからの
喜びからなのでしょう。
それに対して、お聴聞の経験を持たない方が、自分のことだけを考えて
怒り腹立ちの生活を送られているのでしょう。

どうか、豊かで喜び多い人生を送りたいのであれば、仏さまのお話を
是非、繰り返しお聴聞することで、もっともっと喜んでよいことが沢山あることに、
気づかせていただくことが出来るのです。

 親たちやご先祖が、お寺やお仏壇、お墓を残してくれたのは、人生の味わい方を
学び、受け継いでほしいとの願いからでしょう。
お料理を味わうことが出来る人と、味わえない人がありますように、人生を
味わう力が育っている人と、味わう能力が開発されていない人とがあります。
同じ人生なら、自分が、してもらったことを気づき、もっともっと、こころから喜べるように
お育ていただきたいものです。

仏さまのお話を聞くこと、お聴聞することで、人生は、大きく違って見えてくるものです。
南無阿弥陀仏とともに、この人生を充分に味わう力を育てていただきたいものです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏を口にして

          


           私も一言(伝言板)