第1305回 ご先祖が最も喜ぶのは

 平成30年 2月 1日〜

 お正月やお彼岸、お盆、命日などに、家族そろって先祖の墓に
お参りをするのは、日本人のすばらしい習慣です。
想い出深い父や母、あるいは祖父母の在りし日を 偲びながら、
墓前に花を供え、皆んなが こうして すこやかに過ごさせて  
いただいていることに感謝するのは、美しい習俗だといえましょう。


 しかし、墓参りするのは、先祖供養だとするのは どうでしょうか。
「 供養 」という意味のなかには、先祖のために 何かしてあげる 
私が祈ってあげるという心理が働いています。


祈ることによって ご先祖をどうにかできる力が、はたして私に 
あるのでしょうか。また、祈らねば ならないような状況に、 
自分の先祖はおられる、と思っているからでしょうか。


 讃岐の庄松さんは、「 墓を作ってやろう 」という知人の言葉に、
「 わしは死んでも、石の下にはおらんぞ 」と・・・・。
肉体の抜け殼としての骨は 土に埋められても、自分は如来の大悲に
救われて お浄土に生まれ、そして衆生済度の務めをするのだ、  
土の中で眠っているわけにはいかん、という意味なのでしょう。


 山口県柳井の沖にある笠佐島では、お骨は 火葬したままで
墓は作らないそうです。

全戸浄土真宗門徒で、庄松さんと同様の意識からのようです。
京都のある著名な商家でも、お骨は親鸞聖人のお墓がある  
大谷本廟におさめて、自分の家では墓を持たない主義、それが
ご法義にかなうという 信念によるものでしょう。


 人間は、自分の果たし得なかった夢を、子どもに託すものです。
子どもこそは、親の願いであり 期待であり、また いのちなのです。
親から子へ、子から孫へ 次々に伝えられた 先祖の願いが、
この私に凝縮しているのだと、考えられないでしょうか。

中国の『 礼記 』に「 身は 父母の遺体なり 」とあるのも、
同じ意味でしょう。


 とすると、真にご先祖を喜ばせる方法は、私自身が真の教えに
目覚め、永遠の いのちをいただくこと ではないでしょうか。

そのとき私のなかに 凝縮されて、一緒にいるご先祖もともに、
永遠の いのちを得るのです。先祖は それを願っているのです。


 先祖に謝念を捧げる墓参を あながち否定しませんが、形式的に
墓参するだけではなく、ご先祖を 喜ばせようと 思われるのであれば、
あなたが お寺に参って ご法話を聞かれる以上の方法はありません。
私が 仏法に目覚め、お念仏とともに 喜び多い人生を送ることが、
ご先祖が最も 喜んで頂けることだと味わいます。 
             (参照 霊山勝海著 やさしい真宗講座)

 今、持っている知識や常識では、これから必ず訪れてくる苦しみ、 
四苦八苦の問題は解決できません。一日でも早く、南無阿弥陀仏に

出遇っていただくことが、ご先祖を、そして自分自身を最も喜ばす  
ことになるのです。教えを聞かねば、気づかない世界があるのです。


          


           私も一言(伝言板)