第1547回 お世話したのか されたのか ~感じ取る力~

 令和4年 9月22日~

「闘病中の母が亡くなりましたが、葬儀はせずに簡単に済ませたい」
という趣旨の電話があり、対応した坊守さんは 
生み育てていただいたお母さんでしょう。
ちゃんとなさった方が良いですよと、強く勧め、ご自宅へ
枕経にうかがいました。

 小さなお仏壇前の介護ベットで、息を引き取られたとのこと、
訪問看護を受け、ご自宅で療養されていたとのことでした。

 翌日、往診の先生の電話番号が大きく張り出させている台所と、
介護ベットをかたづけた部屋でのお通夜には、
お子さんと三人のお孫さんが参列されました。
13年前、父さんが亡くなられ時 お葬式の後、
自宅での七日七日の法要で、亡きお母さんがお勤されていた正信偈を、
持参していった経本を持ち、みんなで一緒にお勤めをしました。

 人間は、自分の行動、してあげたことは、全部憶えています。
高齢で弱られたお母さんの介護をしたことは、よくおぼえていますが
赤ちゃんのころ、おっぱいを飲ませていただき、おむつを
替え育てていただいたこと。
成長しても、毎日毎日食事を作ってもらったことは、
当たり前で一つもおぼえていません。

 いろいろと親にしてあげたことをおぼえていますが、
お世話していただいたことは全部、忘れています。
お世話をした私、ではなく、お世話いただいた私であったことに
気づくことが出来ると、今までとまったく違った思いが
わいてくるものです。

 恩徳讃を歌ったり、報恩講をお勤めしたり、浄土真宗は 
恩を感じる力を育てていこうという宗教なのではないでしょうか。
自分がお世話した記憶だけでなく、忘れてしまっている
お世話いただいた多くの出来事を思い出し、感じ取る力が
育っていくと、人生はまったく違って、味わえるようになるものです。

 してあげただけではなく、していただいたことに気づくと、
お世話をかけ、ご苦労かけ、育てていただいた私だったと、
ありがたく、喜び多い感謝の人生となるものです。
それを気づかなければ、私一人苦労した、いいことは何もなかったという
不満一杯の辛い苦しい人生で終わってしまうのでしょう。

 有り難さを感じる力を育てていくことで、喜び多い人生へと
転換していくことが出来るものでしょう。
喜べるか、喜べないか。感じる力を育てるか、育てないかで
それは決まってくるものでしょう。

 お念仏は 私のことをいつも思い、見守り励まし、
そして、お浄土へ生まれさせようと、はたらき続ける仏さまに気づき、
感じる力を育ててくださる
 はたらきがあるのです。
そして、私に対する多くの思いはたらきに気づく力が育つか、
育たないか。

 お聴聞することで お世話いただいいていることを
感じ取る力を、気づく力を養うことがでていくのです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏を口にし、耳に聞きながら・・・。


          


           私も一言(伝言板)