第1673回 鏡で見ると

 令和 7年 2月 20日~

 学生の時、「鏡を見ると 左と右が逆転しているけれど 何で上下は
逆転しないのか」と問われて いろいろと考えたものの、
答えが出せずに、先生に尋ねると、
「鏡は間違いなく 左は左に 右は右に 上は上に 映しているが 
自己中心の心で見ているので、左右が逆のように見えるのだ」と
教えられた話を聞きました。


 この世の中のことを、私たちは ちゃんと見ているようで、
実のところ自分の都合のよいように見ているのです。
雨が降っても、嫌いな行事が中止になる雨は、良い雨であり、
楽しい行事の前では いやな、悪い雨です。
同じ現象も、自分の都合で見方が、まったく変わってきます。

 私たちは 自分に都合のよい尺度を持って生きています。
そして、努力さえすれば自分の思い通り 希望通りになるもの、
思い通りになるのが幸せであると信じ、そう育てられてきました。
しかし、この世の中は、自分の思い通りになることばかりではありません。

 生老病死 生まれたからには、必ず歳を取り、病気になり、
いのちが終わっていくことは間違い真実です。
ところが、他人はそうでも、自分だけは特別で、努力さえすれば
大丈夫と、思い込み、病気になるとその原因を探し、慌てています。

 全ての生き物、全ての物質は、必ず変化して
やがて消滅すると、諸行無常であることを、仏教では説かれています。
刻々と変化して二度と戻らない11日、一刻一刻を、今、生きているのだと
説き、教えていただいていますが、自分のこととしては、納得していません。

 もし今ここで、仏さまの願い 仏さまのはたらきを聞くことが
出来ると、そうした真実にはっきりと、目覚めることが出来るのです。
真実を聞くことで、当たり前の毎日が、当たり前ではなくなり 有り難い
11日であると知らされ、人生の味わいが深まり、今まで
知らなかった新たな喜びが 生きる力が湧き出てくるのです。

 平凡な日常が、有り難い大事な1日に、転じられ感じられてくるのです。
二度と無いこの瞬間、二度と無いこの出あい、この瞬間、今を
しっかりと全力で 何事にも向き合って、生きていくことが出来るように
なるのです。

それが、仏さまの願いにかなった、もっとも人間らしい有り難い
毎日となるのです。


 

          


           私も一言(伝言板)