第1504回 みえないものでも あるんだよ ~慈悲のはたらき~

 令和3年 11月25日~

 私たちは どうしても目に見えるものだけが存在し 見えないものは
存在しないと思い込んでいます。ところが、
金子みすゞさんの詩『星とたんぽぽ』には。

 青いお空の そこふかく、海の小石の そのように、
 夜がくるまで しずんでる 昼のお星はめにみえぬ。
  見えぬけれども あるんだよ
  
見えぬ ものでも あるんだよ。

 ちって すがれた たんぽぽの かわらのすきに だァまって、
 春の くるまで かくれてる。つよい その根は めにみえぬ
  見えぬ けれども あるんだよ、
  見えぬ ものでも あるんだよ。

 言われてみれば、見えていない、気づいていないだけと知らされます。
金子みすゞさんは、どうしてこうした こころ豊かな詩が
よめるのでしょうか。

どうも、幼くして父親を亡くして、仏教とのご縁があった
からだと思えます。

こんな詩もあるのです。


  『お仏壇』

お背戸でもいだ橙(だいだい)も、 町のみやげの花菓子も、
仏さまのをあげなけりゃ、 私たちにはとれないの。

だけど、やさしい仏さま、 じきにみんなに下さるの。 
だから私はていねいに、両手かさねていただくの。

家にゃお庭はないけれど、お仏壇にはいつだって、 
きれいな花が咲いてるの。 それでうち中あかるいの。

そしてやさしい仏さま、 それも私にくださるの。 
だけどこぼれた花びらを、踏んだりしてはいけないの。
朝と晩にはおばあさま、いつもお灯明(あかり)あげるのよ。 
なかはすっかり黄金(きん)だから、御殿のように、かがやくの。
朝と晩とに忘れずに、 私もお礼をあげるのよ。 
そしてそのとき思うのよ、 いちんち忘れていたことを。
忘れていても、仏さま、 いつもみていてくださるの。 
だから、私はそういうの、 「ありがと、ありがと、仏さま」
黄金(きん)の御殿のようだけど、これは、ちいさな御門なの。
いつも私がいい子なら、 いつか通ってゆけるのよ。


 金色のお仏壇 お礼をあげる やがてお浄土へいけるという
浄土真宗の 仏さまのお話を 年忌法要のおりに聞いたのか、
あるいは、一緒に住んでいたお祖母ちゃんに聞いたのか
目には見えないけれど、仏さまはいつも見まもってくれていることを
ちゃんと味わえていたのだろうと思います。

  風鈴の音で 風が吹いているのを知るように 南無阿弥陀仏を
聞くことで仏さまが ここにはたらいておられることに
気づかされるものです。


 思えば、私たちの周りには、目には見えないたくさんの電波が
飛び交っています。
それを受信できるスマホやテレビがあれば 内容を確認できるように、
仏さまのはたらきを ちゃんと受信できるように 繰り返しお聴聞して
仏さまのおおいなる はたらきを知り 味わい、喜べるように、
お育ていただき、豊かで有り難い人生を 頂きたいものです。

          


           私も一言(伝言板)