第888回 仏さまって どんな方  〜アインシュタインへ 近角常観師〜

 平成22年 1月 28日〜

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「仏さまって どんな方」 と 聞かれたら どう答えたらいいのか。
なかなか難しい質問ですが、先日のご本山のご正忌報恩講の通夜布教で
長野の先生が こんな例を挙げてお話されました。

かつて、アインシュタインが日本を訪問された時、仏教について知りたいということで
真宗大谷派の僧侶、近角常観先生と対談されたことがありました。
 

その対談の中で、アインシュタインが  「仏さまとはどんなお方ですか」
と尋ねられたそうです。

そこで近角先生は、姥捨て山にまつわる伝説を例にあげて、説明されました。 
食糧事情の貧しかったその昔、日本のある地域では一定の年齢に達した老人は、
口減らしのために山に捨てられるという 悲しい風習が残っていた頃の話です。

信濃の国の姥捨て山の麓に住む、ある若い農夫が.老いた母親を捨てに
行くことになったのです。 
たとえ親思いの息子であっても、村の掟に背くわけにはいきません。 
背けば家族は村におれなくなります。 

母親を籠に乗せ、姥捨て山へと向かっていったのです。 
ところが、その道すがら,背中に負われた母親が、しきりに木の枝を折っては
道々に捨てていくのです。


これを見た若者は、「ひょっとして、母親は山奥に捨てられる恐怖心に耐えかねて、
この落とした枝をたどって、また家に帰ってくるつもりではないのか」 
と疑ったのです。

どのくらい歩いたでしょうか、とうとう捨て場所と思しきところにやってきました。 
息子は母親を背中から降ろし、別れを告げて帰ろうとしました。

その時、母親は息子の袖を捕まえて言うのです。 
「いよいよこれがお前との一生の別れじゃ。身体に気をつけるんだよ。
ずい分山奥まで入ったから、お前が家に帰るのに道に迷って困るだろうと
思って、私が来る道すがら、小枝を落として目印をしておいたから、
それを頼りに、無事家に帰るんだよ。そして立派に跡をついでおくれ」
 

そう言って、母親は息子に手を合わせるのです。

その母親の姿を見て若者は泣き崩れました。 
こちらは母親を捨てているのに、母はこちらをこんなに憂いている。 
こんな母をどうして捨てられようか、息子は思わず知らず、草むらに両手を着いて

「どうかこの籠にお乗り下さい。これから我が家に御伴して、一代の限り
お仕えいたします」
と言って、再び母を背負って山を降りたということです。

ここまで話をされた近角先生はアインシュタインに、 
「この母親の姿こそ、仏さまの姿であります」とおっしやられたのです。

母は、今まさに自分を捨てようとしている我が子を見捨てることが出来ないのです。 
自分を殺そうとしている者をどこまでも生かそうとするのです。

これが仏さまの心だと言うのです。

涙を湛えてこの話を聞いておられたアインシュタインは、帰国するに臨んで、 
「日本人がこのような温かい深い宗教を持っていることはこの上もない
幸せなことです。日本に来てこんな素晴らしい教えに出あえたことは
私にとって何にも勝るものでした」
  と語ったそうです。

ここで語られる母親と息子の関係は、言うまでもなく阿弥陀さまと
私の関係を
 表しています。

阿弥陀さまは、いかなる人をも救わずにはおれないとおっしゃっています。

しかも自分に背く者、逆らう者さえも救おうとされるのです。
 それが大悲と呼ばれる阿弥陀さまのお心です。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、2月4日に 新しい内容に変わります。
                 
                    (光明寺ホームページを参照しました。)

         


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