第1460回 健康も 病も

令和 3年 1月21日〜

 お釈迦さまは、生・老・病・死という
人生の苦を見て出家され、その苦からの
解脱を求められたと伝えています。

 そのことは、お釈迦さまの伝記に
「四門出遊」の伝承があることによっても
ることができます。 

特に、無常のいのちをもって生まれた
私たちは、何人といえども老病死を
まぬがれることはできません。 
老いることも、病むことも、
死ぬこともない世界を願いもとめても、
それは不可能であって、虚しい願望に
しかすぎまぜん。

私たちの願いどおりにならない
世のなかであり、人生であるからこそ、
お釈迦さまはこの世は苦、無常であり、
人生は苦であると説かれたのです。


 問題は、このような苦にどう
立ち向かい、あるいはいかにそれを
受けとめていくかということです。
例えば、病いを嫌い憎んでいては
病苦はなくなりません。

病を避けようとするのではなく
いも健康と同じようにそのまま
受け取るとき、苦でなくなるので
あって、むしろ病いによっていままで
知らなかった自分自身やこころが
見えてきます。 

そのとき、人生の苦を解決する道が
自ずから開けてくるのです。


 健康は ありがたきかな
 病みもまた ありがたきかな
 いただくばかり

 これは、岸上たゑさんの和歌です。
生涯難病を抱えて生きられた岸上さんは、
健康も病気もそのままありがたいと
いただかれたのです。

病苦が苦でなくなるとは、まさしく
そのことではないかと思います。
病苦もありがたいと感謝する
ところには、もはや病苦は苦として
あるのではありません。


 むしろ、病苦のおかげで人生を
教えられ自分を知った、という
喜びがあるのです。


 また病みの苦しみや痛みをみずから
知って、私たちは病んでいる人の
苦しみや痛みがはじめて理解できるのです。

苦しみや悲しみがわからないようでは、
人間として失格です。
それでは、健全な人間関係も社会生活も
成り立ちません。
多くの人たちによって支えられている
私であったと、人生のありがたさが
わかるのも、病いのおかげなのです。


 兼好法師は「徒然草」の中で、
「病なく身強き人」(第117段)は
友としてふさわしくないと言っています。

病いの苦しみを経験していないと、
えてして病人に対する思いやりに
欠けるのです。


みずからの健康に思い上がって、
他の人に対するやさしいこころが
ありません。それでは、ともに支え
合って成り立っているのが人生で
あると知って、感謝するこころも
でてきません。

そのような人は、苦しみも悲しみも
ともにする真の友情にも欠けるのです。
それでは信頼できる友とはいえません。
兼好法師が言っているのは、
そのことなのです。   

   人生の折々に 本願寺出版社  
         瓜生津隆真師


        


           私も一言(伝言板)