第1564回 酔っぱらって

 令和 5年 1月19日~

 
朝から 赤い顔をし 酒臭く 二日酔いで苦しんでいる人がいます。
たばこを切れ間なく吸い、指先は黄色く 近づくと匂う人もいます。
酒やたばこや賭け事に酔いしれている人たちに比べると 
自分は真面目で
 まともな人間であると思っていますが、
自己中心で 行き先もわからず、 道に迷っていながら 
それに気づかず、生きている人は 酔っ払っている人たちと 
同じように 無意味な人生を送っていると 言われます。

何のためにこの世に生まれ どこへ向かって、生きているのか 
考えもしないで、毎日をすごしていることを、
むなしい人生であると 仏教では 言うのだといいます。

 蓮如上人の御文章には

 八万の法蔵をしるというとも、後世をしらざる人を
 愚者とす、たとい一文不知の尼入道なりというとも・
 後世をしるを智者とすといえり・・・・  とあります。

 希望したわけでもなく、気づいてみると、この世に生まれていました。
そして 追いかけられるように競い合って
勝ったと言って喜び、負けたと言って悲しみ
得をしたとはしゃぎ 損をしたと悔しがり、一喜一憂しながら
無我夢中に走り続けているのが私たちです。

 親鸞聖人の ご和讃には

 本願力にあひぬれば むなしくすぐる人ぞなし
 功徳の宝海 みちみちて 煩悩の濁水へだてなし  と

 阿弥陀如来は、一人も漏らさず救い取る、人間に生まれたことを
喜び、生きがいある人生をまっとうさせたいと願いを立て
完成されました。

 この本願の教えに出会えれば、この人生は 喜び多い
すばらしいものになること間違いないと、お釈迦さまは
教えていただいています。

 この私は 今は 自分本位で 自分の家族や仲間のことしか
考えられない生き方をしていますが やがて  多くの人々の幸せのために
生きることが喜びとなる 仏になって欲しいと
阿弥陀如来は呼びかけておられるのです。

どうか 仏となって みんなのためにはたらく そうした目標をもって、
この人生を 送って欲しいと呼びかけておられます。

難しいことを言っても何もしない できない私たちに 代わって
自分が 苦労して修行して、南無阿弥陀仏と自分の名前を
信じ 口にするものを、一人残らず 自分と同じ能力を持つ
仏にしようとはたらいておられるのです。

 無理なことは言わない 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏のお念仏だけで良い 。
私たちの 父 祖父母 多くの先輩たちも 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

と、一緒になって はたらきかけておられます。

 何のためにこの世に生まれ、何のために生きるのか、
そのことがはっきりすることで、この人生は まるで違って
見えてくるものです。


 あなたも酔いしれて 虚しい人生を送るのではなく、どうか、
喜び多い 生きがいある人生があることに気づいてほしいと。
お念仏の教えに出会えれば、 生まれた目的 進んで行く方向
本当の喜びが はっきりと見えてくるのです。


          


           私も一言(伝言板)