第1542回 見えないぬくもり

 令和4年8月18日~

 突然の雨の中、あるパチンコ店の前を通りかかった。
青いレインコートを羽織った店員が、ずらりと並んでいる
雨にぬれた自転車のサドルをぞうきんで丁寧にふき、
ビニールをかぶせていた。
私は、その姿に驚きと感動を覚えた。


 私は普段、「目に見える気遣い」しかできていない
のではないだろうか。
電車で席を譲る、学校で係の仕事を手伝う、家で母に
頼まれた手伝いをする......
役に立ちたい、喜んでもらいたいという気持ちがあるのと同時に、
どこかで「ありがとう」と言われるのを期待している気がした。


 その自転車の持ち主はこの気遣いに、もしかしたら
気づくことはないかもしれない。パチンコには負けるかもしれないが、
お尻がぬれることなく、気持ちよく帰れるだろう。


 気遣いとは、「やってあげるという意識のもとでやるものではない」
と言われたことがある。

 私も「見えない気遣い」ができる人間になりたいと思う。
  (「見えない気遣い」に感動 毎日新聞 2018114日)

私はドキッとしました。人前ばかりでいい格好をしている自分の姿に。
そして温かい気持ちになりました。
気付かなかったけれど、たくさんの「見えない気遣い」に
支えられているのだなぁと......
やがて恥ずかしくなりました。
その「見えない気遣い」のほとんどに、お礼の一つも言った
記憶がないからです。


見返りを求めることなく相手のしあわせを願い、私が求めるより先に
相手の立場になりきってはたらく「見えないぬくもり」を「慈悲」
と言います。
阿弥陀さまは、そんな「慈悲」のおこころが満ち満ちた仏さまです。

私が忘れている時も、やさしい眼差しが注がれています。
私が気付かないときも、温もりいっぱい抱きしめてくださっています。


 私の心を豊かに育んでくださる阿弥陀さまの
「見えないぬくもり」に、「ナモアミダブツ」と
手を合わさずにはおれません。   

     少年連盟のホームページより  藤本 文隆


          


           私も一言(伝言板)