第1047回 親を喜ばせたければ ~お浄土への道を歩む人生~

 平成25年 2月 14日~

お母さまが 亡くなられ お葬式が済んで帰ってきたばかり いま虚脱状態という方から
お電話をいただきました。


故郷から離れ 就職し結婚し 都会生活をして数十年一人づまいの母親の急病を聞き、
駆け付けたものの 話も出来ないまま
 亡くなられたとのこと。

お通夜 葬式と 懐かしい近所や親せきの方々 久しぶりに合い 思い出話に
こころ暖まったものの 親を亡くしたことで 心に
 ぽっかりと穴が空いた感じであるとのことです。

ご宗旨をお尋ねしますと 浄土真宗とのこと

それなら 亡くなられて遠くに行ってしまわれたわけではなく 仏となって もう はたらいて
頂いていると 申しましたが
 なかなか納得がいかないようです。

若くしてご主人を失くされた、今は亡きお母さまは お寺の婦人会に属し ご法座にも、
よく参拝されていたということですから、南無阿弥陀仏のお浄土へ生まれるという価値観を
お持ちだったことだと思われます。


死んだら終りではなく、仏になって これまで以上に 大事な我が子をはじめ 孫のことを 
一生懸命に 見守り
 お念仏に出あって喜びの人生を送ってほしいと 願われ
今もはたらきかけておられることでしょうと、お話ししましたが どういうことを意味しているのか、
浄土に生まれるとか
 はたらきかけるとか、なかなかご理解いただけない様子でした。

死んでしまうのではなく、浄土に生まれるのだと 突然に言われても 
都会に出て忙しく生き抜いて来られた人には 齢を取ることは 駄目なこと、病気したら終わり、
いかに健康で長生きが幸せか、そのために努力することが 大事だ
 死んだら終りと
思い込んで生きて こられたのでしょうから、年齢を重ねることも 病気をすることも 
いのち終わることも 無駄なことは一つもない どれも意味あることという 

価値観は なかなか受け入れがたいことだと思います。

でも、田舎で 仏教の お念仏の価値観で 一人で力強く生活して おられた方は、 
年齢を重ねることも 病気になることも
 やがて、いのち終わることも 尊いご縁であるとの
思いを持っておられたのだと思います。


死なないように、年齢を取らないように、病気しないようにと 励むのではなく 
お浄土へ生まれるという 最終目的を持ち
 一番いい方向へ 最も幸せな方向へ 
一歩一歩近づいているのだとの
 味わいをお持ちであったろうと 思います。

自動車のカーナビへ 目的地を選択しておけば どんなに渋滞しても
途中工事中で 通行止めであっても 表示を見落とし、迷って 別の道へ進んでいっても 
カーナビは
 ちゃんと 声にだして 教えてくれます。

同じように 南无阿弥陀仏を口に生活する人は この道でいい 間違いなく目的地 
お浄土へ向かっていると 安心して
 一日一日を、味わいながら、楽しみながら
過ごしてこられたのでしょう。


どうか、残された方々が一日もはやく 今は亡き親たちが一番喜ぶ 
お念仏の価値観に出あい、目的地のはっきりした人生を、喜び多い人生を
歩んでいただきたいものです。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏の声を口に 耳で聞きながら 移り変わる景色を 
出遇う人々との生活を 味わいながら ゆっくりと落ち着いて迷わずに進ませて
いただきたいものです。

そうすることが、先だったお母さんを最も安心させ 喜ばせることに

なるのだと 思います。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、2月21日に新しい内容に変わります。

 

         


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