第1644回 気づかない 私が

 令和6年8月1日~

 大阪のおばちゃんが、左足のしびれが出始めて、病院にいきました。
診察したお医者さんは、「うーん、これは残念ながら、高齢のためですね」と
告げました。
「でも、先生、この右足も同級生ですぜ」と、返事しました。
先生も負けず、「心配せんでええ、まもなく右足もしびれてきます」と。

 同級生という表現でいえば、右足だけではなく、私の手も頭も口も
心臓もみんな同級生なのです。
ところが、頼みもしないのに、みんなだまって働き続けてくれています。

 夜になれば、私自身は、眠って休んでいますが、
一日も、一刻もやすむことなく、働いてくれた同級生も沢山います。
心臓はその一つです。
頼みもしないのに、やすむことなく働づめで私を生かしてくれています。
私が気づかないところで多くの臓器が、精一杯、黙々と働いて
くれていたのです。

 そればかりではないといいます。
頼みもしないのに、阿弥陀さまは、この私のためにずっと
はたらきかけ続けていただいているというのです。
気づかないだけ、知らなかっただけで、私のために多くの同級生と
一緒になって、私を生かし続けていただいているのです。

 そう気づくとき、感謝しても感謝しきれないことが、いかに多いかが
知らされてきます。
当たり前になって気づかないことが、なんと多いことか、南無阿弥陀仏は
その多くのはたらきかけに、気づき、心から、感謝することばであり、
仏さまが、そして私の体のすべてがもっとも喜んでくれる言葉なのです。

 何事も当たり前では、何の感動もなく不平不満のつらく苦しい毎日になりますが、
多くのはたらきかけに気づき、味わうことができれば、なんと

ありがたく喜びいっぱいの、豊かな人生を味わうことができるものです。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は、その喜びを、感謝を表す言葉、
「ありがとうございます」という言葉にもよく似た、親たちが受け継いで
残してくれた 有り難いことばです。

私に、多くの はたらきかけがあることに気づかせてくださる
仏さまの言葉です。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 


          


           私も一言(伝言板)