第1488回 「阿弥陀さま」との出会い   ~浄土真宗とは (5)~

令和 3年 8月 5日~

 法然聖人のもとで学んだ親鸞聖人は、修行もできない
愚かで弱い自分を、「かけがえのない尊いいのち」と
大切にみてくださる阿弥陀さまという仏さまと"出会い"ました。


阿弥陀さまに"出会う"ということは、その"温かなこころ"
"
出会う"ということ。温かなこころに出会うと、生きていることの
"
意味"が変わります。


これまで生きてきた意味、これから生きていく意味、そして、
今、生きている意味......
それは「生かされて生きている、かけがえのない尊いいのち」
という意味に変わるのです。
この仏さまの"温かなこころ"のことを「慈悲」といいます。


 妻「恵信尼」との出会い

親鸞聖人は、法然聖人のもとで恵信尼さまという女性と"出会い"
結婚しました。すべてのものを棄てる「出家」という生き方を
すべき僧侶が、妻をめとり家族を持つということは、当時の
常識を覆す行いでした。しかし親鸞聖人にとっての結婚は、
単に個人的な愛という感情にもとづく行為ではありません。
夫婦・家族とともにあることによって、一層、阿弥陀さまの
"温かなこころ"をいただいて生きることができる。
そんな思いにもとづいた結婚でした。阿弥陀さまの
"
温かなこころ"に包まれてお互いが相手を尊敬し慈しむ、
そんな夫婦でした。


再び「逆境」との出会い

親鸞聖人が35歳のころ、誤解や嫉みなど、さまざまなことが
絡みあい、法然聖人の教えに対する弾圧が起こりました。
これにより法然聖人は土佐へ、親鸞聖人は越後に流罪となったのです。
しかし、阿弥陀さまの"温かなこころ""出会った"親鸞聖人は、
これを単なる「逆境」ではなく、この出来事もまた、大きなご縁と
受けとめておられました。


これまでは法然聖人のもとで学ぶ中で阿弥陀さまの"温かなこころ"
喜ぶ毎日でしたが、これを機に「浄土の教えを仰ぐ人は、わが身の
愚かさに気づいて往生するのである」という法然聖人の言葉を受けて、
親鸞聖人は自分のことを「愚かもの・親鸞」と名のり、京都から
遠く離れた越後や関東に住む人々に、恩師法然聖人から受け継いだ
阿弥陀さまの教えを伝えていくという、新たな意義を見出して
いかれたのです。

                     (6)に つづく

          


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