第1463回 老病死 と 老病生
 
         〜死んでいくのか 生まれるのか〜
      
令和 3年 2月 11日〜

 お釈迦さまは「人生は苦である」と、
「生・老・病・死」の四苦を示され、

人間に生まれたからには誰しも、
その苦しみを背負って生きていか
なければならない、しかし、
お念仏の人は 死が終わりではなく、

浄土に生まれ、さとりを開き、仏と
なって人々を救うはたらきをするのだと

苦しみを解決する法を説いておられます。

 ですから、生老病死と死を受け入れれば、
苦悩の人生で終り、生老病生、死ぬの
ではなく、お浄土に生まれると味わえば、
今度は自分のためではなく、
阿弥陀さまと同じ思いで、人々を救う、
はたらきが出来る喜び多い生きがいある
未来があるのだとも教えて
いただいているのです。


 では、どんな仏さまになるのか、
南無阿弥陀仏の仏になると言われます。

阿弥陀さまのはたらきを褒め讃える
仏さまになるのが目的であると。

南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏と
讃嘆する仏さまになるために、
今人間でいるということになります。


 ところが、多くの人は若さが
永遠に続くことを望み、健康である
ことを期待し、死んだらすべてが
終わりだと思い込み、毎日毎日
悪戦苦闘しています。


テレビを見れば、「いつまでも若く、
健康で長生き、それには努力こそが
大事、その努力を助けるために、
これを飲み、あれを使うと効果甚大、
みんな使っています」と繰り返し
繰り返し、呼びかけてくれています。


 そこで、体や心が痛い苦しいと
お医者さんに行くと、様々な治療を
して、お薬を出して、悪いところを
治していただきます。

考え方によっては、どんどん成長して
成長しすぎて、老いを、病を得て
いるのに、悪くなってしまったと
思い込み、悲観しています。


これは、人間の狭い知識・理解しか
持たない人々の発想ではないでしょうか。


お釈迦さまは、人間の目的は、
やがてお浄土に生まれて仏となり、
多くの人々を救うはたらきをすること。
そのために、今生きているのだと。


 わずか100年の人間だけではなく、
まだまだ大きな目的があるのだと
受け取れれば、沢山の喜びや苦しみ
悲しみは、やがて仏となった時の
貴重な経験をしている。

経験豊かな仏になるための勉強期間、
研修期間ではないでしょうか。


 私は間違いなく仏になるために
この世生まれてきたのだと、
疑いがなくなったとき、もう
仏の仲間、正定聚の位にいるのです。


そして南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏を
口にする生活は、仏さまの呼びかけに
返事をすると同時に、もう仏さまと同じ
 はたらきをさせていただいて
いるのです。

この世にいながら、仏さまと同じ
はたらきをさせていただいているのです。


仏になっても、南無阿弥陀仏、
生きている今も南無阿弥陀仏。

南無阿弥陀仏で多くの人を、
お浄土へ誘い、そして一緒に仏さまに
なって、ともに生きがいある喜び多い
未来があるのです。


世間では、生老病死といいますが、
仏さまの目から見れば、生老病生、

死が終わりではなく、お浄土へ誕生、生。
どうか、生老病死ではなく、
生老病生と味わい、南無阿弥陀仏、
南無阿弥陀仏の仏の仲間としての
毎日を送りたいものです。


          


           私も一言(伝言板)