第1352回 信心正因のおすすめ

 平成30年12月27日〜

 親鸞聖人のみ教えの一番大切な点は、どのような罪深いものも、
阿弥陀如来さまのご本願を信ずれば、即座にお救いにあずかるとい
信心正因のいわれを、明らかにしてくださったことです。


 本願を信ずるということは、阿弥陀如来さまが「わたしをたのみ、
わたしの名を称えなさい、そなたがこの世に生きているかぎりは護りつづけ、
いのちが終われば浄土に迎えとって、清らかなさとりの
身にしてあげましょう」
と誓われたみ言葉を、疑いなく聞きいれて、
阿弥陀如来さまのおはからいに
おまかせすることをいうのです。

 そのことを親鸞聖人は「信心は、如来の御ちかひをききて疑ふこころのなきなり」
『一念多念証文』・註釈版聖典(678頁)といわれています。

 また聖人は信心を、日本語で「たのむ」といいあらわしておられます。
信心には、信頼とか信憑という熟語がありますように・
うそ・いつわりのない
言葉に対して、「よりかかり」「よりたのみ」
「まかせる」という意味が
あるからです。

「たのむ」というのは、
「たより」にし、「まかせる」ということです。
今日では「たのむ」
を、「請い願う」という意味で使うことがありますが、
親鸞聖人や
蓮如上人のころは、「お願いする」という意味で「たのむ」という
言葉を使われたことはありません。必ず「力としてよりかかり、まかせる」
という意味で使われていました。


 そこで阿弥陀如米さまの本願に「われをたのめ、必ず救う」と仰せられて
いるのは、そなたの罪も、さわりも、生も、死も、すべて
私にまかせなさい、
必ず救ってあげますと仰せられているのです.

 そのみ言葉のままに、如来さまにおまかせするとき、即座にお救いにあずかるわけで、
親鸞聖人はそのことを「信心の定まるとき往
生また定まるなり」『親鸞聖人御消息』・
註釈版聖典735頁 と仰せら
れたのです。

 このように、信心一つでお救いにあずかることを信心正因といい、そのうえで
み名を称えているのは、「おたすけくださってあり
がとうございます」と。
お礼を申しあげていることですから、これ
を仏恩報謝の念仏と仰せられたのです。

 では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏……。

                  朗読法話集 第一集より

          


           私も一言(伝言板)