第1630回 よろこぶ こころ みにうれば

令和6年 4月25日~

 お料理の店を開いていた板前さんは、
自分がつくった料理を 美味しい、美味しいと
食べてもらうのが、一番うれしかったと。話してくださいました。

 現役を退いた今でも、材料が手に入るとドレッシングなどを
大量につくって、近所の人に配っていますと、私も一ついただきました。

 まるで、仏さまのようですね。
仏さまは、お浄土へ生まれるのだと知った人が、南無阿弥陀仏、
南無阿弥陀仏と喜んでお念仏をしている姿を見るのが、最もうれしいと、
喜んでおられるといいますからね。

 私たちが子どものころから受けてきた教育は、新たな知識を得ることで
表には現れていない、いろいろの事実を発見し理解出来るようになり、
より多くの喜びを感じることが出来るようになるものです。

 それに対して、宗教は ごく普通の当たり前のもの、平凡な出来事を、
ちゃんと見て、気づき、感じる力を 育てていこうとするもの
でしょう。

 仏さまのお話を聞くことで、この私のためにどれだけ
多くの人々が ご苦労いただいているのかを、感じとる力が、
育てられていくと、どこにでもある平凡で、当たり前の、
普通の出来事が実は、大きな意味、 素晴らしい存在であり、
有り難いことであると気づき感じ取ることができるようになるものです。


 そうした力が、身につき始めると、私の人生は 平凡で、
つまらないものではなくなり、とても有り難く意義あるものであると
感じられてくるものです。
鈍感な私に その真実を知らせ、感じ味わうことの出来る力を 
育ててくださるのが、南無阿弥陀仏の教えでしょう。

 南無阿弥陀仏のお念仏は、自分で経験する前に、失敗する前に
その真実を、有り難さ豊かさを気づかせるはたらきがあるものです。

 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、お念仏の教えに遇うことで、
大きな力が、はたらきがあることを、知らせることによって、
普通で、当たり前にしか見えないものを、出来事を、本当は
とても有り難く、素晴らしいものであることに気づかせ、
それを感じ取り、感動する能力を育てていただくのです。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏を聞き、口にする生活は、
その感受性が
 身につき、育てていく、はたらきがあるのです。
お聴聞することで、親たちが最も喜んでくれる生き方が、
知らされるのです。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 は 仏さまの願い 親たちの願いです。

          


           私も一言(伝言板)