第1036回 次の世代へ 〜父母はこの私のために〜

 平成24年 11月29日〜

落ち葉の季節 柿の葉はすべて落ち 紅葉が残りわずか
お掃除する者にとっては やっと秋が終わったと安堵していますが、
その落ち葉をよく見ていると 自分の周りに落ちて積もり

栄養になろうとしているようにも 感じられます。

我が身の一部である 葉っぱを落とし 土に戻し肥やしにして
成長する そうした自然の摂理が感じられるものです。


 ところで、こんな話を聞きました。
お父さんお母さんが よくお寺に参拝し 自宅でも 南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏とお念仏されるのが 息子さんには うるさく感じて

勧められても 一切お寺に 顔を出さずにいたといいます。

「お蔭さまとか、有り難いとか ご縁です」という

言葉も うっとうしいと感じていたといいます。

その父母が亡くなり 子どもさんが、中学校へ行くように

なったとき、こともあろうに、小児癌を発病してしまいました。

お医者さんには、もうこれ以上治療の方法はなく、残念ながら

回復の望みはありませんと、告げられてしまったといいます。

どうしようもない悲しみ苦しみの中で 気づくとお仏壇の前に座って
いる自分を発見したといいます。

父親が座っていたと同じように、息子の自分もそこに座っていたといいます。

やがて病気が進行し 病室で子どもさんと、二人きりになったとき

「僕の病気は もう治らないんだよね」と聞かれたといいます。
「先生達が一生懸命治療してくださっているから 心配せんでも

  いい・・・・」と、言ったものの 後が続かず
長い沈黙の後、中学生のお子さんが
「・・・死んだらどうなるの?」。

どう答えたらいいのか。慌てて大丈夫、大丈夫,、必ず治るよと嘘も言えず、
つい

「爺ちゃんも婆ちゃんも、阿弥陀さまの国 お浄土へ往ったように
 いのち終わったら お浄土へ生まれていくんだよ
  仏さまの国に・・・」と
 話していたといいます。

南無阿弥陀仏をいつも声にする父や母に あんなに反発し、自分は
宗教など信じない、お浄土など信じないと、否定していたのに
病気の我が子に向かって、仏さまの話をしたといいます。

あの父母が 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と いつも口にしていたのは

自分が生まれる前に、幼子を亡くした、親の悲しさからでもあったのかと、
はじめて気づいたといいます。


そして、中学生の我が子にも,自分にもお浄土があることが、有り難かった、
どんなことが起ろうと、何が起ころうと、生きて生ける力を

父母は、教えてくれていたのかと 悲しみの中 味わったといいます。


落ち葉となって やがて肥やしとなるように 父母は この私のために
南無阿弥陀仏を口にして、生きぬいてくれたのだと思えた
とおっしゃる若いお父さんのお話を聞かせていただきました。


         


           私も一言(伝言板)