第1502回 教信行証か 教行信証か ~自力か 他力か~

令和 3年 11月11日~

 仏教の基本は 「教・行・証」 教えに従って 教えの通りに 行ずる、
修行をして 証(さとる)ものです。
親鸞聖人が まとめていただいた教行信証も 正式には 
「顕浄土真実教行証文類」と書かれています。


ところが、これを 「教行証」ではなく 「教行信証」と言われてきました。
浄土真実教行証文類なのに、教行信証と、教行証に 信心の信の字が 
加えられているのです。


仏教の常識からすれば 教えを信じて、行じて 証るのですから、
もし、信心の信の字を加えるのなら、教の後に 信がくる 教信行証と
するのが仏教の考え方ですが、そうではなく 行の後に信がきて 
教行信証と言われてきました。


 ここに 親鸞聖人の教えの特徴があるというのです。
親鸞聖人も最初は 自分の力でさとりを開こうと、比叡山で厳しい
修行に励まれました。
しかし、二十年間努力しても さとりとは ほど遠いことに 悩まれました。
そのころ 40歳年上の比叡山の大先輩 法然聖人が 京都の市中で
一般の人に お念仏の教えを説いておられることが 気になっていました。

そこで、日本に仏教を最初に勧めていただいた聖徳太子の廟である
六角堂にこもられ、夢のお告げに勧められ、法然聖人を訪ねられ 
自分の力で修行して さとる教えではなく、

仏さま、阿弥陀さまの 願いを聞き取り、
お念仏の生活をすることで、お浄土に生まれ仏になれる 
他力の念仏の教えに出会われました。


 これは、それまでの仏教とは まったく違った受け取り方、斬新な教えです。
人間が修行するのではなく、仏さまのはたらきである 大行 
私が信じるのではなく 仏さまが信じさせる大信、 
大行・大信によって 証れるというのが、お念仏の教え、
ですから、教えを信じて修行して証るのではなく、 仏さまが
永劫の間、修行してくださった大行を 信じさせられ、それて証る、
という 、仏さまの行を 信じさせられ、悟りに至る
教行信証と言われてきたのです。

仏さまの願い、そして そのはたらきを 信じさせていただき、
この私は、お浄土に生まれることが出来、 仏になれる
これこそが、従来の仏教とは まるで違った教えです。
自分で修行してさとることが、仏教との常識の人には 
なかなか理解出来ない納得しにくい教えです。


しかし お聴聞を繰り返していくことで、転じられていくことで
新しい道が開けてくるのです。
そこで、親鸞聖人がまとめていただいた教行証文類は 教行証ではなく、
教信行証でもなく 教行信証であると、先輩たちは伝えて
くださったのでしょう。

行も信も 私たち人間の力ではなく、仏さまのはたらきであると 
しっかりと、お聴聞させていただきたいものです。

私が称える南無阿弥陀仏は、自力のお念仏ではなく、
他力のお念仏であることを知らせるために 教行信証と、
伝えられてきたのです。


          


           私も一言(伝言板)